お腹いっぱいな4年間
皆さまこんにちは。
神戸大学応援団総部第62代で副団長・リーダー長・主務を務めておりました、山崎勝生と申します。
弊団は、12月17日(土)の幹部交代式を以て、62代から63代へ移行いたしました。
そのため、今回が最後のnoteとなります。少し長くなってしまうかもしれませんが、最後まで見ていただけますと幸いです。
まずは近況から。我々は、12月16日(金)に62代のラストステージとなる
「翔鷹祭~礎の時代から飛躍の時代へ~」を開催いたしました。
本番までの期間、練習はもちろん、パンフレットや物品作成、下回生ステージや前説、司会やコール指導等の準備において、学年や所属関係なく、全員で同じ方向を向いて取り組むことが出来たと思います。
そして、本番では本当に多くの方にご来場いただき、一体となって最高のステージをつくることが出来たと思います。特に、今回は大学の友達や高校時代の友人など、応援団のステージを初めて観る人も多かったのですが、そういった方々から「感動した!」、「元気出た!」などの言葉をたくさんいただき、そこは今回のステージの一つの目標でもあったので、本当に嬉しかったです。個人的にも、練習内の時間配分をこれまでのステージとは変えるなど、色々と考えて試行錯誤してきた部分もあったので、達成感もひとしおであり、こういった感想をいただけて非常に嬉しかったです。
改めて、ご来場いただいた皆さま、ありがとうございました。
本来ならばこれで終わりなのですが、今回はラストnoteなので、せっかくの機会に応援団での4年間を振り返ってみます。
まずは1回生。僕はある理由から、大学では「何をするか」よりも「誰と過ごすか」を大切にしようと心に決めて、様々な部活・サークルを見ていました。その中で、当時の団長と出会い直接お話する中で、人生で初めて男に惚れるみたいな感覚になり(本当に)、この人と同じ団体で同じ時間を過ごしたいなと思い、入団を決意しました。そのため、応援団が実際に何をするのかなどはあまり深く考えておらず、後日YouTubeで応援団関連の動画を見る中でびびりまくった記憶があります。ただ実際に活動してみると、日々の練習に必死に取り組みながらも、野球やアメフト、ボート等の応援活動、三商などの演舞演奏等を通して、応援団へのやりがいや楽しさを感じていました。アメフトの西日本代表決定戦や1回生ながらエール交換を行ったことなどは、特に印象深く残っています。しかしそれと同時に、チーフが特別上手い訳でも、コミュニケーション能力が人よりも秀でている訳でもない自分は、本当に団に必要なのかと徐々に感じ、どこか居心地の悪さを感じるようになったのを覚えています。特に、秋頃に練習や応援に取り組む姿に自分自身も元気を貰っていた同期団員が辞めてしまった時からこの気持ちは加速し、冬オフ中に当時一番仲の良かった団員が辞めてしまった時には、本気で辞めようかと思っていました。
ただ、幸か不幸か、2回生となった冬オフ明けからはコロナウイルスの影響で活動が大きく制限され、また後輩ができたということもあり、この気持ちは徐々に薄くなっていきました。2回生は後半こそ、三商野球応援や、オンラインでの60周年記念式典などを行うことが出来ましたが、1回生の頃と比べると多くの活動が行えないまま、3回生となり、4回生不在のため幹部となりました。コロナ拡大から1年が経過し、今年は普通に活動出来るだろうと思っていました。ただ、入学式ステージや春の準硬式野球応援は行えたものの、基本的には一年前と変わらない状況で、正直心が折れかけていたと思います。今振り返ってみると、もっともっともっとやれることは山ほどあったと思います。最上回生として失格ですね。そんな中でも、応援団に入ってくれた今の2回生や、残ってくれた3回生には感謝しかありません。
そんなこんなで4回生となり、様々制限が伴う中でしたが、多くの活動がかえってきました。特に私にとって大きな出来事だったのが、6月に3年ぶりに行われた三商合同演舞演奏会です。2大学の演舞演奏を、そしてそれを引っ張る同期の姿を観る中で、自身の応援団員としてのあらゆる面での小ささ、未熟さを痛感すると同時に、僕にとって目覚めのキックとなりました。
それから今日に至るまでの約半年は、一つ一つの活動に120%で取り組むのはもちろん、副団長として、リーダー長として今まで何も貢献出来ていなかった分、団への贖罪のためにも何が出来るか・どうあるべきかなどを必死に考える中であっという間に過ぎていきました。この半年間は、本当に色々なことがありました。野球部・吹奏楽部と一体となった三商野球や秋リーグ応援、様々な事を経験し団としても個人としても成長出来た夏合宿、そして3年ぶりの六甲祭ステージや初めての翔鷹祭など、どれもこれも思い出深いものばかりです。
私自身、副団長としては「全員が居心地の良い団体」、「団員の幸福度が高い団体」にしたいなと思いながら活動していました。果たしてそれが出来たのか出来なかったのかは分かりませんが、練習前の集合で下回生が11人も並んでいる光景を見たときや、最後の練習で「宇宙を股に」を歌い終わった時の皆の表情を見た時には、良い団体になったなあと心から感じました。
一方でリーダー長としては、圧倒的なチーフの上手さや威厳がある訳ではないことは自分が一番自覚していたので、誰よりも下回生のことをよく見てよく考え、「神戸大学応援団でリーダーになって良かった」と思ってもらうことを目標に取り組んでいました。しんどい練習をたくさんさせられて、恨みや不満の一つや二つや三つや四つや五つあったと思うけど、最後までついてきてくれて本当に感謝しています。
まだまだ書きたいことはあるのですが、既にまとまりのない文章となってしまってますので、ここら辺でまとめに入りたいと思います。
こうして振り返ってみると、一人の漢に惚れこんで入った応援団で、4年間本当にたくさんのことがありました。僕たちに応援をさせてくれて、多くの興奮や感動を、そして熱い気持ちにさせてくれた涉内の皆、歳が3つしか離れていないとは思えないほど大きく憧れの存在であった先輩方、何事にも一生懸命で、一緒にいて楽しくて魅力的な後輩の皆、信じられないくらい優しくて強くてかっこいい応援団同期達、現役の活動を優しく見守り続けてくださったOB・OGの皆さまなど、多くの方々と出会うことが出来ました。また、たくさんの嬉しい気持ちや楽しい時間、反対に悔しい気持ちや努力・苦労が報われなかったこと、自分の力のなさや無知を痛感したことなど、多くの感情を味わいました。このような人との出会いや自分が見た景色、感じたことなどは、僕の頭の中や心の奥底に目には見えない形で、そして写真やノートなど目に見える形でもたくさんたくさん残っています。本当に僕にとってお腹いっぱいな4年間でした。(もちろん良い意味です)幹部交代式では、普段ほとんど泣かない僕も、危うく泣いてしまう所でした。それくらい、本当に充実した時間を送ることが出来たと思います。幹部交代した今、この気持ちをすぐに消化することは難しそうですが、熱くなれる次の目標を見つけて僕も進んでいきたいです。あと、引退しても別に死ぬわけではないので、これを見てくださっている皆さん、ご飯のお誘い等お待ちしております。
最後になりますが、神戸大学応援団は12月17日より第63代が始動しております。2年半(佐倉は8ヶ月だけど、そんなこと関係ないくらい濃い時間でした)共に過ごした今の幹部なら、必ず飛躍の時代を創ってくれると確信しています。
今後とも神戸大学応援団総部をよろしくお願いいたします。
長きに渡ってお送りしてきた引退noteも明日でいよいよ最後になります。
それでは、ばしっと締めてもらいましょう。
神戸大学応援団総部第62代 副団長・リーダー長・主務 山崎 勝生