シン・長田を彩るプレイヤー~ひととまちを繋ぐシェアハウス~(前編)
今回は、シェアハウスを運営する株式会社マチアケの玉井さんを取材しました。株式会社マチアケは新長田だけでなく、北区や灘区、兵庫区など複数のエリアにてシェアハウスを運営されています。
前編では、玉井さんがシェアハウスを運営されたきっかけやシェアハウスへの想いについて取材していきます!
夢を語る場所
―記者―
それではまず簡単な経歴や、自己紹介をお願いします。
―玉井さん―
生まれが岐阜県の飛騨高山というところでして、 そこで18歳まで過ごしました。
飛騨高山って山の中にあって、当時の私にとって、外の世界に行くのがすごくハードルが高い場所だったんです。
名古屋まで行くのに3時間ぐらいかかったりとか。
どこに行くにしても時間がかかって、場所的には自然豊かで古い町並みが残っていてすごく魅力的なところなんですけど、当時は海外の方とかの出会いもすごく少なくて。
簡単に言うと世間知らずのまま18年間育ってきたかなってイメージがあります。
その後、大学進学をきっかけに京都に行きまして、学生時代は大学の授業とアルバイト、ボランティアをしながら過ごしていました。大学では化学の勉強をしてました。
その時、どんどん科学技術が進歩しても、人間の幸福度ってこれ以上上げられる余地が少ないんじゃないかなってずっと思っていて。
公的な方から仕組みや経済を変えて世の中を良くしていく方がきっといいんだろうなと思って、公務員試験を受けたこともあります。
―記者―
大学を卒業された後はどうされていたんですか?
―玉井さん―
大学院に進学しました。
大学院に行った時に国家公務員試験とかも受けたのですが、結局国家公務員にはならず、鉄道運営や不動産開発をやっている会社に就職しました。
会社では不動産部門の担当で、神戸市で言ったら須磨駅とか灘駅のタクシー乗り場の整備をした後、ショッピングセンター部門や飲食店部門にいました。
その会社って配属したら基本的にその部門でずっとやるみたいな感じなんですけど、ショッピングセンター部門の仕事は自分にあまり合わなくて。
それで、会社員を辞めるって決めてビジネスを探しました。
そこで見つけたのがシェアハウスビジネスで、僕自身は楽しさだけでなく、ビジネス戦略的にシェアハウスにすごくいいイメージを持ちました。
―記者―
会社員をやめて起業しようと思われたんですね。
―玉井さん―
はい。大学時代は周りに自分の夢や志を語る人が多かったので、そういうことを語れる場所っていいなと思って。
その手段としてシェアハウスっていいなと思ったんです。
ただ自分の夢とか志を語る場所を作っても、ビジネスとして成り立たないと継続できない。
僕はイベントを企画する方法も考えたんですけど、イベントって1回やったらもうそれで終わりなんですね。
しかも1回やるのにすごいエネルギーかかるんですよ。
そういうことをずっと繰り返す人生ってのも嫌なので、仕組みで回さないといけないなと思って。
夢を語る場所が仕組みとしてできるって何なんだろうなと思った時に、1番シェアハウスが良かったんです。
―記者―
なるほど。
シェアハウスの他にビジネスの候補はありましたか?
―玉井さん―
夢を語る場所って意味で言うと、候補は他になかったです。
まず、会社員を辞めるためにはどうしたらいいのかってところから深く考えていったら、ちゃんとビジネスとして成り立つものを始めないといけないと思いました。
それで、ビジネスとして自分が長く続けられるものって何だろうって考えたときに、自分自身のモチベーションも上がるし、仕組みにもなっているものじゃないといけないなって思って。
それがちょうど、シェアハウスだったっていう感じですね。
―記者―
サラリーマン時代には、シェアハウスと関わる機会はありましたか?
―玉井さん―
友人に誘われてコワーキングスペースに行ったことがあったんですけど、その時に自分の夢について語り合うことができたんです。
そういう場所で、色々な業種の方々と話す機会があって、それがすごい楽しくて。その当時も知り合いにシェアハウスに住んでいた人がいて、その人にシェアハウスの家賃とか出会いについての話を聞くことができたんです。
じゃあ、家賃はこのくらいにして、自分の出す費用がこんだけだったら、ちゃんと黒字になるし、もし撤退することになっても難しくないと思ったので、じゃあやってみようかなっていう。
―記者―
身近にシェアハウスに住んでいる方がいてイメージが湧きやすいっていうのもあったんですね。
自分がやりたいことを形にするためにシェアハウスがいいと思って、行動に移されるまで時間はかかりましたか?
―玉井さん―
かからなかったです。
僕、当時2年間遠距離だった婚約者が東京から戻ってくる予定だったんです。それで家を買って奥さんと一緒に住むまでの間、やってみようっていうところで。
もし別にダメでも、一緒に住む場所だからいいし。
ローンの支払いってめちゃくちゃ高いわけでもないので、仮に居住者が集まらなくても払えないわけでもないと思って。
たまたまタイミング的にも逃げ道があったので、シェアハウスを始めてみたっていう感じですね。
―記者―
サラリーマンとして働く一方で、シェアハウスのビジネスを始められたんですね。
その後、仕事を実際に辞められてシェアハウスの運営を生業にしようと思ったのは、ターニングポイントがあったんでしょうか。
―玉井さん―
そうですね。
始めて1年くらい経つと、やっぱりシェアハウスっていいものだなと思って、ちゃんと勉強して事業としてやっていきたいなと思ったんです。
その時に、名古屋で唯一シェアハウスをしっかり教えてくれる人がいたので、その人のところに習いに行って。
それで、その人に「最終的には会社員よりも自由な経営者って立場になりたいです」って話をしたら「なれるよ」って言われて、その時に立てた目標にも今は届いてます。
世の中のために、シェアハウスのために
―記者―
お話を伺っていると玉井さんの行動力の強さを感じますね。
学生の時から行動力のある学生だったんですか。
―玉井さん―
親族に政治関係の仕事に就いている人がいた影響もあって、世の中のために何かやろうっていうのが結構身近にあったんですね。
学生ながらそういうことを考える機会が多かったと思います。
当時も就職することが目標だったわけではなくて、世の中を良くするためにはどうしようみたいな発想でしたね。
実際、飛騨高山で過ごしていた時って周りにサラリーマンが全然いなかったので、自分の中で雇われるっていうことがあんまりイメージできなかったんです。
だから、あんまり型にはめることがやりにくい学生ではあったと思います。
すごく行動力があったわけではないんですけど、周りのレールに沿って同調してみたいなことはできないタイプだったなと思いますね。
―記者―
小さい頃から世の中を良くしたいという思いがあったんですね。
シェアハウスの運営についても何か意識されていることはありますか?
―玉井さん―
シェアハウスを紹介してくれる住民の方々とか、一緒にここで働いてくださってる方の存在とか、やっぱ自分1人でやってるんじゃないって思うんですよ。
だからこそ、どうしたら他の方々が動きやすいのかっていうことは考えてます。
小さいことなんですけど、住民の方に指摘される前に廊下の照明も全部センサー式にしたりとか。
スイッチでつけたり消したりするのってめんどくさいじゃないですか。
そんな感じで、何かおかしいなって思うところは改善するようにしています。
―記者―
小さいことでも大事なことですよね。
―玉井さん―
あと、僕はシェアハウスがやっぱり好きなんですけど、世の中のシェアハウスのイメージってまだまだ良くないんですよ。
だから、神戸でこれだけ目立つような感じでやれた以上は、シェアハウスっていうものの社会的なイメージを良くしていきたいなと思ってます。
シェアハウスって、誰かと一緒に暮らすっていうことじゃないですか。
それって結婚にも繋がるし、その後は孤独に死なないってことまで繋がるから、誰かと一緒に暮らす能力はどんな人でも必要だと思うんです。
そういう能力が培われる場所としてシェアハウスは世の中に必要だと思うし、そんなシェアハウスが僕は好きなんです。
その一方で、投資的に旨味があるからシェアハウスの業界に参入する人が費用の削減とか効率を重視すると、改善しないとか対応が雑だとかシェアハウスの社会的なイメージが悪くなる。
それはやっぱり嫌なので、シェアハウスの社会的なイメージが良くなるように改善すべき部分は改善し、1個1個の行動にうつすようにしています。
当たり前のことが多いし実際全部できてないところもあるんですけど、それを愚直にやってこうっていうことは心がけてますね。
前編では、元々会社員として働いていた玉井さんがシェアハウスを運営することになった経緯やシェアハウスへの想いを伺いました。
今回の取材で訪れたシェアハウスは、夢を語れる場所をつくりたいという玉井さんの想いが込められており、住民の方や働いている方から愛されている場所なんだと感じました。
後編では、シェアハウスの住民が今後どのような方向に進んでいってほしいのかという玉井さんの想いについて伺います!
編集:コゲちゃん、ノツ