シン・長田を彩るプレイヤー ~世界に一石を投じ続けるコミュニティメディアプロデューサー~(前編)
今回取材したのは、FMわぃわぃ代表理事・金千秋さん。
阪神・淡路大震災の際は、多言語でのラジオ放送により、外国人住民への災害情報の提供に尽力されました。
現在はカトリックたかとり教会の敷地内にて、多様性をテーマにした番組を制作し、インターネットを通じて発信されています。
在日外国人をはじめとしたマイノリティの声を地域に、世界に伝え続ける金さんの想いとは。
前編では、金さんと多様性との出会いや目指すまちの姿をお届けします。
揺らぎを起こす存在に
-記者-
自己紹介をお願いします。
-金さん-
普通の主婦です。
大学時代もちょっと家庭教師をやってたぐらいで、すぐ結婚をしていますので、ほんとに社会経験のない人でしたっていうのが自己紹介ですね。
生まれたときは父の実家の北野にいて、その後は六甲に住んでいました。
北野のおばあちゃん家に行くと、周りにはトルコ人や中国人がいたり、それからドイツから来てるユダヤ人とかね、いっぱい多様な人がいて。
ほんとに「外から見た神戸」っていうようなところで生まれ育ちました。
その中でまったく見えていなかったのが、在日コリアンだったんですね。
結婚した方が在日コリアンで、日本の負の歴史というか、隠されてる歴史も様々あるんだなっていうのを理解していきました。
そんな中、阪神・淡路大震災に遭い、在日外国人の安否確認のためのラジオ放送に参加しました。
その後、カトリックたかとり教会に来ると、今度はボート・ピープルといわれるインドシナ難民のベトナム人たちに出会って、また別のカルチャーショックを受けました。
だから、子どもの頃から多様性の中で育ったけれど、単に多様性の中にいたからといって、多様性を理解できるわけではないんだなと感じています。
-記者-
もともと多様性が身近な環境ではあったけれど、結婚や震災を機に自分が多様性というものに対して実際に働きかけていくことで、理解が深まっていったんですね。
-金さん-
そうですね。
例えば、彼と結婚して、表札に漢字と覚えたてのハングルで「キム」って書いて、チマチョゴリを着た女性がお辞儀してるイラストをつけたら、彼に「こんなものを出してはいけない」って言われて。
「君は差別された経験がないからそうしたんだろうけど、もしかしたら差別されるかもしれないということも考えようね」って。
私としては、いつもは在日コリアンであることに誇りをもっていると言っているのに、やることがちょっと違うじゃんって感じるとともに、差別されるかもしれないという心の不安を初めて知ったんですね。
だから、その本人たちに「あんなに怒ってたのに何を言ってるの」と言うんじゃなくて、日本国籍をもって日本で生まれて育っている人にはなかなかわからない社会の空気感を、マジョリティの方が理解しないといけないんだなって。
そういうものに出会う機会がないとわからないんだなっていうのを、自分の実感として理解するようになりました。
-記者-
なるほど。
実際、キムという名前で生きていく中で、そういう差別を経験されたことはありますか?
-金さん-
本当に私が在日コリアンでキムという名前で生きていたら、そういうものにもっと敏感だったのかもしれないけど、私は鈍感な方かもしれないですね。
子どもが小学校に入ったときに、私はPTAの学年代表になったんです。
そうしたら在日コリアンのママたちが、「あなた学年代表になったのね!嬉しいわあ!」って。
でも本当は私、在日コリアンじゃないんだけどねっていう後ろめたいところはあった。
それと在日の方から、「キムとか、リとかね、その名前で生きてる人は、すごい想いをもって、勇気をもって名乗っている。だから、軽々とキムという名前を名乗らんとってほしい」と言われたこともあった。
-記者-
それでも、キムという名前を名乗ると決めたことを後悔しませんでしたか?
-金さん-
反対に、それで社会の中に揺らぎを起こすわけじゃないですか。
在日コリアンにとっては、嬉しいと思う人と、「いや、あの人ほんとは違うんですよ」っていう人と。
そういう社会に揺らぎを起こす存在として、この名前を使い続けたいって思ったんです。
FMわぃわぃにできること
-記者-
FMわぃわぃは多言語で発信されているということで、それも一種の揺らぎを起こしているようなイメージだと思います。その中で苦労されたことはありますか?
-金さん-
背景の異なる人たちの困りごとを、届いてほしい人たちにどう伝えるか非常に苦労しました。
多言語で発信をしている中で、在日外国人といっても、その背景の違いもすごくあるんだなっていうのが見えてきた。
留学生だったり技能実習生だったり、単身で来ている人たちの日本にいる苦労と、難民として受け入れられて定住している、コミュニティで来ている人たちの苦労の違いがある。
あと、日本人の妻として来る人が結構多い、例えばフィリピンの女性たちとか。
その人たちは家族の中に抱え込まれていて、フィリピン人のコミュニティをつくりにくいっていう、日本に住む外国人女性特有の問題も見えてきた。
こういった背景の違いをしっかり整理した上で、行政や支援者、地域の人々に、在日外国人が困っていることをどう伝えるのかという苦労はあったなと思います。
それから、自分たち自身のコミュニティをつくりにくい状況の外国人たちをどう支えていくのかも苦労のひとつで。
それが意外に、FMわぃわぃで番組をやることが、コミュニティづくりに役立っているとわかったんです。
現在もフィリピン女性のための番組を一生懸命サポートして作ってるんですが、その番組を作るために定期的に集まることで、コミュニティの力が強まっていく。
マイノリティの力になるためにFMわぃわぃというツールをどう使っていくかを非常に苦労して考えました。
-金さん-
いかんせんFMわぃわぃって、震災の時にボランティア活動の一環として始まったので、財政的な基盤を作っていくことも大変でした。
震災が起こったからこそ裸足のままで走り始めたんだけど、次にバトンタッチするときにそんなこと言ってられないじゃないですか。
2015年に、人々の気持ちだけで支えていくのを一回やめようとなりました。
みんなで集まって。しかしまだ、自分たちが目指しているまちにはなっていない。
そのまちづくりのためのツールとして残る必要があるという想いがあって、お金がかかるラジオ電波は捨て、ネット配信※に移ることになったんです。
-記者-
FMわぃわぃが目指しているまちとは、どのようなまちですか?
-金さん-
私たちは、「誰一人泣かないですむまちをつくる」というのを決意表明として出したんです。
そりゃやっぱりまだまだ泣いてる人いるよねって。
想いや考えを発信することは、水面に石を投げることに似ている気がします。
例えば私たちが番組を通して石を投げると、まちという水面に波紋が広がる。
そこで終わると沈んでしまうんだけど、今度は、「私はこう思います」と次の人が石を投げる。
するとさらに波紋が広がって、石を投げる人が次々現れると、常に水面は揺らいでいく。
そうすることで、「ああ、そうか」って、これまで気付かなかったことに気付くことができる。
そういう揺らぎをつくっていかないといけないのではないかなと思います。
まちという水面が、きれいに整備されて静かな状態より、「どこかに泣いてる人はいないか、小さい声はないか、出しにくい声はないか」って石が投げ込まれて揺らいでいる状態をつくり続ける必要があるんです。
そのために、テレビ、ラジオ、新聞だけでなくて、いろんな人の目につく様々な方法で発信していく。
長田にはダンスを踊ったり、歌を歌ったり、アートをしたりとかで気付きの場をつくっている人たちがいる。
石を投げるのと同じで、それをやり続けるまちでなければならないなと思っています。