シン・長田を彩るプレイヤー ~地域に革新を!長田神社前商店街の敏腕“商売人”~(後編)
今回は長田神社前商店街の惣菜店「おかずふぁくとりー」のオーナーであり、商店街振興組合の中心メンバーでもある村上季実子さんを取材しました。
地域の人々の繋がりが、長田神社前商店街の自慢のひとつだとおっしゃっていた村上さん。
後編では、商店街と地域の結びつきから生まれたイベントのお話や、村上さんの商店街や地域に対する思いについて語っていただいています。
「商店街・神社・地域の人々」とお祭り
―記者―
カード事業の繋がりと賑わいでイベントが生まれた、とおっしゃっていましたが、そのことについても聞かせていただけますか?
―村上さん―
長田神社のお祭りがいくつかありますよね。
おついたち参りがあって、正月、追儺式があって。
その他に夏祭り、夏越祭ってのがあって、秋は神幸祭があるんですね。
そういう伝統的なお祭り以外の地域のお祭りを立ち上げようとなったんです。
ちょうど震災後に兵庫県が賑わい創出のための復興補助金を出していて、その条件が年6回のイベントの開催だったんですよね。
そんな簡単にお祭り立ち上げるって・・・
そんなんできひんわって言いました(笑)
-記者-
年6回ですか、多いですね。
-村上さん-
「年6回でしょ。6回せんと補助金でないんでしょ。いいですもう。」
って、私ずっと断っていたんです(笑)
だけど、周りの人はやった方がいいと言っていたので、婦人会や地域の皆さんにどんなイベントをしてほしいですかって聞いたんですよ。
最初の年は、夏越祭の立て直しの話がでました。
今、夏越ゆかた祭ってものすごい人でしょ。
どっからこんなに人が集まってくるんかなってくらい、歩けないくらいの人になって。
以前の夏越祭は、子供さんらが楽しんでるような夏祭りの雰囲気はなかったんですよ。
いつ潰れるんやろこのお祭りってくらいでした。
そしたら婦人会の人が同じことを感じていて、あの祭りなんとかせなあかんってなって、今の夏越ゆかた祭になりました。他には、地域の音楽をしてる人を応援するようなイベントも開催しました。
会議に加えた工夫
―記者―
アイデアが次々と生まれて、新しい取り組みを沢山されてきていますが、やはりそのアイデアは地域の方との関わり合いの中で生まれてきているのでしょうか?
―村上さん―
そうですね。
次から次へとイベントがあったら、ずっと会議しとかないとだめでしょ?
「だから、会議は水曜日にやると決めたんですよ。」
話が決まらなかったら12時くらいまでやってて、出入りを自由にしてたんです。
それも商店街の組合員だけで集まるのではなく、来るもの拒まず去るもの追わずということで、やってみたい!手伝いたい!と思う人の出入りも自由にしていたんです。
こういうことを手伝ってみたいと思う人は提案して、みんなで企画案を聞いて、予算や人数、規模、様々な質問を投げて・・・
まあ、思い付きで来て挫折して帰っていく人もいましたね(笑)
郵便局の局長も入ってきたり、いろんな人が入ってきて面白かったです。
それは今も続いていて、つい先日も花水木まつりをやるのに、商売人ばっかりで企画を出したり、高校生が入ってきたりしていました。
そろそろ、私らが先頭に立つだけじゃなくて、絶対守らなあかんところ以外は若い子らだけでやってもいいんじゃないかって思ってます。
-記者-
地域住民が会議に参加できる環境がさまざまなアイデアを生み出しているのですね。
商店街・地元長田の未来 ~後継者は作るべき?~
-記者-
それでは、これから長田をどうしていきたいか、教えてください。
―村上さん―
商店街としては空き店舗をないようにしていきたいです。
今は空き店舗がないんですよ。
1か所だけほんとに小さいスペースが空いてるくらいで、あとは辞めてもすぐ誰かが入ってきています。
よく行政機関の人に、自分の店の後継者を育成していかなあかんって言われるんです。
でもいつも反論してるんですよ。
なんで後継者をつくらなあかんのですかって。
自分の子供が違う仕事したいって言ったら、やらせたらいいじゃないですか。
商店街としてやることは後継者を作ることじゃなくて、新しく商売のやる気のある人が入って来られるようにすることだと思います。
昔の写真を整理している時にね、昭和初期生まれの前理事長が、これは何屋さんで、これは何屋さんでって教えてくれて、でもみんなもうおれへんって言われたんですよね。
-記者-
どんどん変わって、新しいお店が入ってきてるんですね。
-村上さん-
そう。時代と共に売る物って変わるんですよ。
店と売り物を継承していくなんてとんでもない話なんです。
売上の良くなかった母の練り物店を、惣菜店に変えたみたいに。
時代に合ったものや、地域の人に要求されるものができていかないと、商店街は発展していかないんですよね。
―記者―
時代に合わせた変化が、商店街のご長寿の秘訣ですか?
―村上さんー
そうですね。
あとなにより神社が寂れたらダメなんですよ。
神社があって駅があるから商店街ができた。
片っぽが無くなると人の通りは無くなるので、商店街は潰れていくんですよね。
-記者-
神社を存続させることが商店街を守っていくことにも繋がっていくということですね。
貴重なお話をありがとうございました。
最後にはなりますが・・・村上さんにとって「長田神社前商店街」とは?
-村上さん-
今となってみたら、自分が生まれ育ったまちが、住み続けたいまちとか言われている中で、自分が住んでる限り、自分が努力せなあかんって思わされるような、そんな商店街ですかね。
できないことはできないけど、できることはやっていかなあかんのじゃないかなって。
最初から無理じゃなしに、やらなあかんでしょっていう感じで。
あかんと思いながらやったら絶対できないですよね。
やってやろうと思う気持ちがあると、「これや」ってものを掴めるじゃないですか。
地下鉄の駅名を変えた時もそうだったけど、話聞いた瞬間に「今や!」って思うわけですよ。
自分はこうしたいっていう目標をしっかり持って、常に意識を持つことが大切かなと思います。
でも正直ね、自分がやらなあかんことはやり終えた感じがしてるんです。
できてないのはそうやね・・・
商店街がもうちょっと発展してほしいなって思う。
自分としては、これからもなるべく広く人間関係を作っていきたいと思います。
地域にはいろんなことにトライしてる人が、いっぱいいてるんですよ。
そういう人とちょっとでも繋がっていきたいです。
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