(エッセイ)花粉症の記録
今年も花粉症の季節がやってきた。清少納言は「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる。」なんて言っているが、今は平安時代ではない。半世紀前に列島中で植えられたスギが毎年空気中へ散布する花粉に、詩情も何もないのだ。
はじめて花粉症であることを自覚した瞬間のことは覚えていない。気づけばいつのまにかこんな体になってしまったのだ。
基本的に生き物というのはそう簡単に死ぬようにはできていない、というのが個人的な考えだが、こういうとき、極小の花粉ごときで体調を狂わされる自分を考えると、人間も案外脆弱なんだな、と思わされる。というより、花粉症自体が比較的最近に生まれたもので、昔の人間がなることはなかったのだから、人間が弱いというよりも、現代のアレコレが生み出した弊害を体の中に持ち合わせてしまったのが不運だったのだろう。たしか昔、「ちびまる子ちゃん」でまる子ちゃんが花粉症にかかってしまう話があった気がするが、あの時代がおそらくは花粉症第一世代に違いない。
症状の程度には個人差があるが、自分の場合は最悪だ。高校生の頃、一度四十度の発熱をしたことがある。たしか体育の時間で、無茶をしてバスケをしていたのだが、意外にもそんなに悪いプレイングはしなかった。もちろん気分が悪かったし、足元はふらついていたが、精神力で乗り切ったのだ。だが今思うと、時期が時期なのだから花粉症による発熱でなく、インフルエンザの可能性も考えてバスケには参加しなかった方がよかったかもしれない。
花粉症になると朝起きてから夜眠るまでずっと鼻の奥がむず痒くて仕方なくなるのだが、基本的にこれ以上の段階があるわけではなく、あるとすれば発熱のように、まったく別種の症状が発生してくるぐらいだ。まさに延々と全身を意地悪くくすぐられているような気分だが、これはもう堪えるか病院に行くかしか道はない。花粉症は治らないから毎年通院することになるが、自分もやはり薬をもらって毎年やり過ごしている。そうでなければ春が終わる頃には発狂してしまう。
死ぬほどではないが、やはり花粉症は不快極まりないし、完全に治すことが可能なら治したい。よく映画やドラマで「痛みの中にこそ生きている実感がある」というようなセリフがあるが、あれは嘘だ。花粉症で苦しんでいるとき、いつも考えていることは、鼻な穴と眼球を綺麗に洗い流したい、それだけだ。映画のセリフで堂々と臆面もなく言える連中は、きっと花粉症になったこともない健康児に違いない。
花粉症はもはや現代病のひとつだ。医療についてまったく詳しくないが、現代以外で花粉症が猛威を振るう時代など来るのか。そうでなければ、やはり現代病だ。街を歩くと、マスクをしてる人たちとたくさんすれ違う。おそらくこの人たちの何割かは、今も鼻水と涙が溢れんばかりに顔面の内側を荒れ狂い、噴き出しそうになっていることを考えると、奇妙な連帯感をおぼえる。ここで自分が率先してくしゃみをすれば、みんな一斉に同じことをしだすんじゃなかろうか。
くしゃみをした瞬間の恍惚は一種のエクスタシーに似ていて、もしかしたら性的なそれよりも気持ちがいいのかもしれない、と思う。ただ問題は花粉症の場合くしゃみを一度すれば十分というわけではなく、場合によっては一度に五回もくしゃみを連続でしたりする。こういうとき、むしろ疲労感が強まってくるし、五回したあと、出そうで出ない、という地獄のような時間が到来するのだ。こんなことが一日に何度もあるともはや何にも集中できなくなる。「春眠不覚暁 処処聞啼鳥 夜來風雨聲 花落知多少」と学校で習ったが、現代風に解釈すればこれは花粉症で眠れない人の哀歌に違いない。毎晩うなされて眠れず、全国に峨峨と佇む杉の木々に向かって呪詛を唱え、明日こそ雨が降って花粉をアスファルトの水溜りに沈めてくれと祈るのだ。
徐々に文章から論理性が散逸してきたので、そろそろ終わる。元々いつ書き終わるか考えずに書き始めたエッセイだから、終わらせるのは自分の勝手だろう。ただこれもすべて花粉症のせいであり、これがなければ本来もっと有意義な時間を過ごせていたはずだ。改めて、スギ花粉を恨もう。
そろそろ病院に行かなければならない。来週の月曜日になるかもしれない。