(エッセイ)自分自身における悪趣味の源流ーまたは手塚治虫についてー
じぶんの悪趣味は明らかに手塚治虫から影響を受けている。そして手塚治虫のその性向をもっとも如実に捉えることができる作品は短編「紙の砦」だ。
「紙の砦」は数ある手塚治虫の戦争漫画でも特に評価の高い作品である。手塚自身をモデルにした漫画好きな大寒少年と、合唱団に所属する少女との出会いから、戦争が2人を襲い心を引き裂くまでの青春模様をわずかなページ数で見事に描写している。少女の存在も含めていくつかはフィクションだが、主人公が空襲に遭い急死に一生をえるのは事実に基づいている。
しかしこうした一見反戦漫画に見えるこの作品にも、実に巧妙なかたちで手塚自身のフェティシズムが挿入されているのだ。
大寒少年は戦中に空襲から逃れるなか、ヒロインに火に焼かれ苦しむ馬を半ば嘲笑的に見せる。しかし一方で、リンチに遭った米兵の亡骸を見たとき、彼は逆に縮み上がってしまう。
こうした背反する大寒少年の心理は作者の手塚自身であり、それは作品中に登場するヒロインの少女に対する過酷な描写で裏打ちされる。美貌の彼女を手塚は容赦なく、顔面の火傷という最も残酷な展開に組み込んでしまう。
予告なきこうした陰惨な描写を楽々とやってのける手塚だが、その短編のしめくくりは彼女に対する未練深さを十全に残している。こうした女性の受難の快楽と、反対の未練は氏の作品に多く見られる展開である。
たとえば同じく戦争を主題とした短編「カノン」でも、同様な悪趣味性が発揮されている。この作品は主人公が母校の小学校で、空襲で死んだはずの同級生や担任の女教師と再開する話であるが、物語の多くが当時の凄惨な主人公の想起に割かれている。
主人公の同級生のなかに足技が得意なひょうきんな友人がいたのだが、彼は機関掃射により下半身を八つ裂きにされて死んでしまっていた。ここに、「紙の砦」で大寒少年が馬の焼死を笑ったのと同様の、しかしより無自覚な悪意に満ちたユーモアが隠されている。
そしてなによりも、この作品の主人公の初恋の女性として紹介された女教師に関してである。彼女は主人公を守るために、主人公の目の前で同じく機関掃射の的となり顔面を「スイカがわれたみたいに」粉々にされるのだ。「スイカがわれたみたいに」と表現する、このような手塚のなかば恍惚的な演出は「紙の砦」のそれよりも「悪質」と言わざるをえない。そしてやはり、幻想のなかで主人公の目の前に蘇った彼女は未練たっぷりに描かれるのだ。
これらの描写は単なるグロテスクと呼びえない。なぜなら手塚作品のこうした女性は総じてすべて美貌という形姿とともに表象されるからだ。つまり「死」と「血」が単なる一方向的な快楽原則に基づいて信仰されるのではなく、もとにある美しさと、それが滅びることの美しさ、そしてそれらの展開に慨することとが、全体としての独特な美の総体に結晶されるのだ。これを「悪趣味」という。
このような、美醜に対するセンチメンタルな情念は、別の「メタモルフォーゼ」という手塚漫画の大きな主題とともにもっと多く語られるべきだろう。むしろ「メタモルフォーゼ」というテーマ自体、実は先に挙げた「悪趣味」性と切っては切れない、むしろ不可分で成り立っている精巧なエロスの形態を構成しているのかもしれない。しかしこのことは、まだまだ手塚漫画を読み込めていないじぶんには、見据えることのできない問題でもあるに違いない。
「美」と「死」交互作用のもたらす快楽が、まだ小学校低学年であったじぶん自身に多大な精神的影響を与えたことは、言うまでもない。それは爾今、幽霊画や映画「イノセンス」のマイブームを再発させたことと、断絶し難い関係が見出されるのだ。
追補:「紙の砦」で燃えてるのは馬だと書きましたが、正しくは牛でした。すみません。