超私的デザイン論①-鳥の目線と蟻の目線-
これまで15回におよび、超私的デザイン概論として、私の経験をもとにデザインのアウトラインについてお話をしてきました。ここからは少し解像度を上げて、テーマを絞ったお話をしていこうと思います。
内容としては大学2年生くらいに向けたデザイン論というイメージですが、なるべく分かりやすいお話になるように心がけていきます。
本題に入る前にひとつおことわりをしておきます。少なくとも私が勤務してきた(している)美大のデザイン系・建築系の学科では、義務教育で使うような共通した教科書はなく、教員それぞれの裁量で参考書籍から引用をしたり事例を挙げたりして一般的に理解されていることをビジュアルとともに説明をしていくスタイルです。そのため教員によって解釈が異なることやニュアンスが異なることはあらかじめご理解ください。
さて、デザインといっても複数の専門領域がありますから、今回はテーマをリノベーションを切り口に、デザインについて論じていきます。
リノベーションとリフォーム
リノベーションは、私の感覚では、ここ10年くらいで誰もが知ることばとなりました。リノベと略しても伝わりますし、大学の専門領域でもリノベーションコースというものもできたり、リノベーション学会もできました。私がまだ大学生のころなどは、リノベーションは建築の改修というほうが一般的で、どちらかというとリフォームの方が、言葉としては幅をきかせていたように思います。
リフォームと異なる点は、新たな価値創造にウェイトが置かれている点だと私は考えています。たとえば部屋を借りるときなどで、契約時に現状回復ということばを耳にすることがあります。何年か住んで、出て行く時にはきれいに戻してねということです。壁紙が破けてしまったら新品に貼り替えるとか、畳が日焼けをして色が茶色くなったり、擦り切れたら交換するとか、そういうことを現状回復といいます。そしてまたきれいな部屋に戻して入居してくれる方を募ります。これがいわゆるリフォームで、マイナスをゼロまで戻すと言ったら分かりやすいかもしれません。
それに対して、リノベーションはゼロからさらにプラスにしていくことといえそうです。リフォームの範囲を超えた術式を施すことで、新たな価値をつくることがリノベーションです。
これらの理解については検索エンジンで調べれば似たようなことがいくつか書かれています。
壁紙問題
私のデザイン事務所では、昨今はこのリノベーションの案件が大変多い。賃貸物件のオーナーさんから、もっと家賃がとれるようにしたいといった依頼や、シェアハウスや宿泊施設など、使い方そのものを変えたいといった相談をよく受けます。ここで、少し考えなくてはならないのがリフォームとリノベーションの境界です。
先ほど、リフォームは現状回復と言いましたが、たとえばもともとの白い壁紙から高級な柄の入っている壁紙に変えることはリフォームでしょうか。それともリノベーションでしょうか。
高級な壁紙のほうが、安っぽい壁紙よりは家賃を上げることはできるかもしれません。そうなると新しい価値が付与されていることからリノベーションといえる。
いやいや、結局表面的なことだけをかえただけなので、リノベーションには当たらない。
どちらも一理あります。
少し思い出して頂きたいのは、概論でお話をしたコーディネートとデザインの違いです(「『スタディ』とデザインにまつわるちょっとこわい話」)。
この「壁紙問題」の例では、今ある壁紙を選ぶという行為になるため、コーディネートとなります。コーディネートで価値を高めて家賃を上げるということですから、この場合はまさに、空間にお洋服を着させるインテリアコーディネートという領域になると思えば腑に落ちます。ではいったいリノベーションとは何なのでしょう。この「壁紙問題」をきっかけに、リノベーションの核心に迫っていきましょう。
ピエール・シャローのダルザス邸
先ほど私は「ここ10年ほどで」と述べましたように、リノベーションはごく近年盛んになった新しい取り組みのように思われがちですが、実はそうではありません。もちろん海外の事情は除いた日本国内の話に限って「ここ10年ほどで」と書いたとご理解ください。
1932年、今からもう90年以上も昔に、リノベーションの金字塔ともいえる素晴らしい住宅(クライアントはお医者さんだったので、正確には医院兼住宅)が完成しました。パリのサンジェルマン大通りの近くにある「ダルザス邸」です。このダルザス邸は、そのデザインの特徴から「ガラスの家」とも呼ばれていて、近代の名作建築のひとつとして現在では高く評価されています。
デザインをしたのはフランス人のピエール・シャローという、もともとは家具デザインを中心に活躍をしていたデザイナーです。高級感が漂う肉厚で美しい木肌の表情をもつ板材と、いかにも近代らしい金属製の板やパイプを組み合わせた独自の魅力を放つ家具を彼はデザインしてきました。近代の三大巨匠のひとりで、シャローと同じくフランス人のル・コルビュジエが牽引してきた近代建築デザインの潮流とは異なるフィールドでデザインをしてきたシャローのこの「ガラスの家」は、当時としては奇異の目で見られ、長い間その評価は留保されていました。
さてこの住宅は、石造りでできた中庭をもつアパルトマンの、中庭に面したまるまる一辺分の室内空間が躯体を残して取り壊され、新しい空間に置き換わります。それまで小さな窓が設けられていた閉鎖的な外壁は解体され、内部の仕切り壁も取り払われ、ほぼスケルトンの状態から開放的な住宅がデザインされました。まさに今のリノベーションそのものです。上の階を支える柱は、1930年代当時から少しずつ一般的な建材として使われてだしていた「鋼材」という鉄骨に置き換えられ、広々とした空間としています。一階は主に医院とし、これもまた広々とした階段がデザインされ、2階より上は住居となっています。オリジナルでデザインされた棚や、パーティション、家具、そして様々な動く仕掛けが散りばめられるなど、あらゆるものがシャローによってデザインされました。
それまでの石造りの外壁面は、ガラスブロックで一面が覆われます。日中は室内は明るくなり、夜間は室内の照明が屋外に表出する、そのような室内と屋外を適切な透明感で関係づけたことが最大の特徴のひとつです。そのたいへんわかりやすい特徴から「ガラスの家」と呼ばれるようになりました。
それまでの既成概念や一般的とされている価値観を打破し、ドラスティックに変革する実験的な行為。じつはここにリノベーションの本来の意義があるように私には思えてなりません。
そう考えると先程の「壁紙問題」はどうでしょう。リノベーションともいえますが、どうやら限りなくリフォームに寄った行為と位置づけられそうです。
新しい価値観
シャローのこの「ダルザス邸」が、長らく奇異の目に晒されていたこと、つまり当時の一般社会にはすぐには受け入れられなかったことは先に述べました。ところが、現在では多くの方がそのデザインや佇まいに魅了されると思います。
これは私たちの価値観の変化によるものです。価値観は、時代の流れの中で常に変化し続けています。もちろん現在も例外ではありません。
ということは、今「いいな」と思う物事は将来的には良くないことになってしまっているかもしれませんし、反対に「よくないな」と思う事柄が「いいな」となっていくのかもしれません。
ただ分かるのは、今この瞬間にも物事の持つ価値はとどまることなく常に変わっているということだけでしょう。
リノベーションのデザインに携わっていて、この価値観の変化を肌で感じることが本当に多い。今は当たり前になりつつありますが、天井を張らずに配管を剥き出しにするデザイン はその代表格でしょう。
それこそ、仕上げとしての壁紙をあえて貼らず、ボードや木下地の荒い表情のままの壁を良しとする価値観も近年ではよく見かけるようになりました。その例でいうと、建築家・安藤忠雄さんの打ちっぱなしコンクリートも例に漏れません。かつてはコンクリートを打設した後には、ボードを貼ってきれいに表面を化粧するというのが一般的でした。
私たちは常に、抗うことのできない川の流れの只中にいて、流されていくことで見えてくるシーンが次々に移ろっていきます。その中で、「いいね」、「便利だね」、「助かるね」を作らなくてはなりません。
ほんの少し前ならそれらを獲得できたかもしれないけれど、今はそうではないということも多々あるということです。半歩先を目指すのか、それとも一歩先を射程とするのか、自分のワークを大きな流れの中に位置づけることが求められます。
鳥の目線と蟻の目線
私は学生やレッスンの受講生に対して、この言葉をしばしば使います。
鳥の目線は、高い位置から広く見渡す視点です。先ほどの川の流れの例で、今自分がどこにいるのかを位置づけると述べましたが、そのために必要なのがこの鳥の目線です。
とはいえ、物事を俯瞰して眺めるだけではワークにはならない。一緒になって流れている人が何を必要としているのかは鳥の目線では分かりません。
そこで蟻の目線が役に立ちます。
スティックのりが、最後まで使い切れたらいいのになあというのもそのひとつでしょうし、カフェ・オ・レを飲むときにちょうどいいスプーンつきのマグカップはないのかあというのもしかりです。
さらに別の例を挙げれば、地下鉄の駅を降りて地上に出たとき皆さんはどうするでしょうか。私は、方向音痴というのもあるのですが、地上に出てからどっちがどの方向かを鳥の目線でざっくりと確認します。おおむね方向を定めて進みますが、そのあとにどの道の何番目の角を曲がるのか、目的地が近づいてくるとキョロキョロと細かな情報を確認して目的地にたどり着きます。
このふたつの目線がないと、なかなか目的地に辿り着くのは難しいのではないかと、私は常々思うのです。
さて、デザインを学ぶというのは、その視点を獲得するトレーニングをするということだと考えています。場合に応じて自由に視点を切り替える力を養うための、デザインは方法です。もちろん当たり前ですが、デザインができるようになるためにデザインを学ぶのも正解です。
しかしデザインを学ぶからといって、皆が皆デザイナーを目指す必要はないのです。
デザインは、自由自在な目線の切り替えによって客観的に物事を見定め、自ら思考し、具体的に問題を解決していくための頭を養う方法なのです。
とはいえ、これを理解してもらうのはなかなか難しい。まずは身内からということで、小学生になる長男に、どうしたらわかりやすく伝えられるかを実践している今日この頃です。