小林 秀行 ゼロ


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巻物のような長文を書かせてもらいます。#ドカベンかよ#こち亀かよ#応用自在かよ

体調の悪い人や妊娠中の方は読むのをお控えください。

改めましてこんにちは小林秀行と申します

埼玉の八潮市で小物の金属塗装を経営してます。#おこがましい話ですが小物の塗装日本1を目指してます。

この度人生の振り返りを書かさせてもらいました#そんなのしらねーよ

では少年の頃から行きますよ😀

東京生まれ東京育ちで墨田区向島に住んでいました。

1980年代の墨田区は花柳界

(芸者の街)だったので飲み歩きしてる人が多くいました。

今では考えられないですけど電信柱の近辺にはゲロと小便だらけの汚い街でした。そんだけ当時は潤っていたのでしょうね#バブリーダンスかよ

私の実家の一階で叔母さんがスナックを経営していてその当時はかなりの繁盛していたスナックだったと思います。平日連日ののようにカラオケが鳴り響いていました。外には防音がされてたのですが上にはまる聞こえで正直うるさかったです。

私の母も叔母さんのスナックを手伝っていたので

グレる環境は整っていました。

小学1年生の頃は体が貧弱で喘息持ちだったのでお医者さんにスポーツをしなさいと言われたことをキッカケに柔道を習い始めました。

そのお陰で腕っぷしの方は強かったので1年生の後半には学年の頭的な存在だった。#剣桃太郎かよ!

それもこれも柔道の先輩が悪い方が多かったので我々は先輩にイジられたりいじめたりをくり返しされていた。その当時は先輩の言うことは絶対だったのでさからえなかった。そんな環境だったので私はそんな体育会系のノリで小学校の友達を手下にしていた。今考えると最低のクズです。

私が通っていた柔道場はベンゼン道場と言う所で墨田区では最強の道場でした。

それだけに練習はかなりハードでした。朝練が週3回ありみっちりシゴかれてました。基本自重のの筋トレが多くその後はひたすらランドリ稽古(スパーリング)

こんだけ稽古すれば強くなるよねって言うかんじでした。

そして月に一回日曜日に試合があります。低学年から勝ち抜き戦で行い勝ち続けると白帯から緑帯に昇格するシステムになっていました。

三年生でやっと緑帯をつけれるようになりました。区大会、と大会と沢山の試合にでて、区大会では1位によくなっていました。(優勝はほとんどベンゼン道場でした)

そんなこんなんで小学高低学年だったころの最低な話をしていきたいと思います。

その当時は私はガキ大将きどりで意気がっていました

私は友達にあれやれ、これやれと無理難題を命令して困らせてました#サイコパスかよ!

2メートルぐらいの所から飛べよみたいな事を発注してそれをまず私が飛んで見本を見せてからこれ出来たら4級合格ね!とかいって勝手に鬼軍曹

をやってました。そんな調子に乗っていていつかは滅びることなんておもってもなかった。こんな最低なことを1年ぐらい繰り返していて、ついに年貢の納め時がきた。

ある日私はいつもの通りに学校の帰り道に友達と待ち合わせをしてから公園に遊びにいくのがルーティンだった。その待ち合わせ場所で先に友達二人が待っていて普段ならコバやんコバやんって呼ばれてたんですけどその日の友達の第一声目は小林もうお前の言うこと聞けないからって言われた!

そこで私は何だよお前らってキレて言ったら。友達にお前のやってる事はおかしい

よく自分の胸に手をあてて聞いてみろよ!って言われ私は胸に手を当てて何も聞こえないぞ!と言ったらウルせえーと言われ友達は二人とも帰ってしまった。

この時・・・あーやっぱり二人ともブッ飛ばして力技でねじ伏せようと思いましたけど何もアクションを起こさず素直に帰りました。

次の日から村八分にされてみんなからシカトされるようになりました。

友達が誰もいなくなり一人でボーッと過ごす日々が続きました。誰からも相手にされず私は一人でゲームブックにハマり一人で永遠にゲームブックをやっていた。

そんなある日クラスの真面目な子の小林たかゆき君が私に話しかけて来てくれた

めちゃくちゃ嬉しかったのを思い出します。その小林くんはゲームオタクで結構アクが強いキャラだったそんな小林くんにゲームを教えてもらった。確か高橋名人の冒険島だった。今までゲームとは無縁の世界だったので新鮮でたのしかった。

そして私はどんどんシャバ僧になり落ちるとこまで落ちるのも悪くは無いと思いました。カッコつけずに、強がらず、尖らないで、いれる友達が居心地がよかったのだと思います。

そんなある日事件は起こった!

小林くんから私は、ゲームとソフトを借りていましたそしたら小林くんが突然家におにーさんとその友達を連れて乗り込んできてゲームを回収しにきました。その時はあいにく私は柔道に行っていたので留守にしていました。

次の日に学校でおにーさんに胸ぐら掴まれてボコられました😀

どうやらその借りていたソフトは小林くんのおにーさんの所有物だと判明した。

小林くんもおにーさんも生粋のゲーマーだったので私は破門をくらいました。

そこから1年ぐらいは一人で過ごしていました。ある日昔の友達から、突然お前

許してやると言われてめちゃくちゃ嬉しかっのを覚えています。

すべて自業自得なんだけど友達にシカトされたことは本当につらかったけどまた仲良くしてもらえたこたは本当に感謝してます。

その頃から私は人に強く言えなくなったしあまり自分の意思を伝えることが出来なくなっていた。変に考えてしまってこれ言ったら嫌われるんじゃないかなとか気ばっかり使うようになっていていまいちよそよそしくなり距離を縮めるのが下手な人間になっていた。(コミュニケーション障害、自業自得)

気弱な小林のスタートでした。しかし相手から高圧的な態度をとられたり一方的に

攻撃してくる相手にはいつでも喧嘩してやるよと心の中にまだ小さな虎はひそんでいました。この心がなかったらただのシャバ僧で終わっていた。

しばらくして小学5年になってからは、友達をタバコで釣ってまたいつのまにか悪に戻っていた。私の叔母さんがスナックを経営していたのでそのスナックにタバコの在庫があるのを知っていたのでタバコを拝借していた。なのでタバコには困らなかった。友達と夜中に近所の公園に集まってタバコを吸いながら語り明かしてた。

#小5なのに馬鹿かっ

この頃はビーバップハイスクールの影響でタバコと警棒に興味ありました。

三段警棒は錦糸町のジョークショップって言う店で3000円で購入しました。メチャクチャ嬉しくて毎日もってました。#使ってないよ

6年生になり更にビーバップ愛が増しまして仲間徹に憧れて早くボンタンが履きたくって履きたくってウズウズしていたことを覚えてます。

6年生の後半頃に友達の親父さんがキャンプ場に連れてってやる。とのことでキャンプ場に小学生8人ぐらいでキャンプ場に連れてってもらった。

その親父さんはいつまでも少年の心を持つ人間で当時本当に尊敬していました。

キャンプ場にいくまで親父さんの車ハイエースをキャンピングカーにしてメチャクチャ内装を改造していたと思います。親父さんが一人で悪ガキ8人をつれていくって今では考えられないですよね。😀

車内で馬鹿騒ぎをしながらビーバップの話で盛り上がり夕方頃にキャンプ場に着きすぐに火を起こしてカレーを作った覚えがあります。カレーが辛すぎて食べれなかっところを親父さんは卵入れると辛さ取れるぞって教えてもらい助かりましたし最高に美味しいカレーでした。食べた後はタバコを吸いながら女の話やら誰が一番

喧嘩強いのか?とかを話していたと思います。

本当に楽しかったです。

そして深夜は肝試しを開催しました。一人30分歩いて山の上に神社がありその境内に缶コーヒを置いて次の人が取りに行くと言うごまかしの効かないガチの肝試しでした。一人づつスタートをして待ってる人は、焚き火をかこみながタバコを吸いながら馬鹿話をして最高のキャンプでした。

みんな無事に肝試しも終了してテントでみんなで川の字に寝てたが一人イビキのうるさい友達がいてみんなは寝付けなかったのでイビキかいてる人のイビキ止めから

その流れでいつもの悪ノリが始まりズボンをぬがしてチンチンに落書きをして遊んでいたのを今でも覚えている。その時の友達ごめんなさい。

そんなこんなで2泊3日のキャンプも終わりいつもの日常に戻りました。

親父さんありがとうございました。

そしてギリ小学校を卒業しました。

中学編

そして中学校に入学をした。隣の小学校の人と小学生の頃から遊んでいたコウセイ君とたまたま同じクラスになりお互い不良に憧れてた。

コウセイ君と一緒に陸上部に入った何故かとゆうと高学年と合同なので綺麗な先輩のブルマ姿が見れるからと言う最低な考えだったが練習がハードすぎて私もコウセイ君ま陸上部を退部した。#根性なし#ただのエロ

その後柔道部に入門をした。小学生の頃6年間習っていたのでかなり自信はあって

区大会で優勝をした。しかし私は不良に憧れてたので部活を退部しました。

なのでまずは一緒に鞄をペッタンコにしてビーバップみたいにかっこよくなろうと二人で誓った。

その帰りに私の家で鞄に熱湯をかけて足で踏みまくりペッタンコの鞄が完成した。

私の親友の梶原君は3つ上の兄貴がいたのでお下がりの鞄を譲ってもらっていたので初めっからつぶれていて羨ましいかったです。

梶原君とコウセイくんと私で毎日のように遊んでいた。タバコ吸ったりボンタンを履いて不良ファッションショーをしていた。その当時の2つ上の先輩たちが怖かっので校内では太いボンタンは履けなかった。

履いたとしても細いボンタンしか履けなかった。

ボンタンは諦めて髪を脱色しようぜ!ってことになりオキシドールで脱色をして

G-Iカット(北斗の券のファルコ)の髪型が熱かった。もちろんその髪型で学校にいったら担任に殴られて反抗したが負けてしまい髪をシャワーで洗われて黒く染められてシャバ僧にもどってしまった。

その後私は懲りずに髪を栗入りに染めるスプレーを梶原君にもらいまた不良を目指した。その当時の担任が生活指導の先生で腕っぷしも強かったので勝てないと思ってしまっていた。中々不良にはなりきれなかった。

そんな困難で面白い友達を発見してしまいました。

もともとの地毛が茶色くって目つきがメチャクチャ悪くって確かいきなり絡んできたと思いました。名前は山本マスオと

言う名前でした。

マスオがテメー何ガン飛ばしてるんだよ!的な感じでからんできたので胸ぐら掴んで殴ろうとした時にマスオが嘘だよ!熱くなるなよって言ってきた。自分から喧嘩売って試してくるとはコイツはとんでもねー野郎だと思いました。

しかしマスオは金と物で人の心を掴んでくるチンピラみたいな奴だった😀

そんなマスオの家に遊びに言ってわかったことは家庭環境がむちゃくちゃだってことは間違いなさそうだった。マスオの家はホテルを経営していて裕福だったが片親でお袋の変わりの身の世話をしてくれる人がいてその人に威張りちらしイキがっていたマスオでした。そんな感じの家だから堂々とタバコも吸えたし悪いことするには良い環境でした。マスオには綺麗な姉がいました

そんなマスオの姉の彼氏がメチャクチャ悪くって暴走族の頭だったらしいです。

#多分ウソだけど・・・ 😀#見たことねーし


見たことないので分かりませんが・・マスオはメチャクチャ嘘つきだったのでほとんど聞き流していました。たとえばこんな嘘よくついてました。

この木刀は田島君(マスオのおねーさんの彼氏)が色んな暴走族をシバイた時の特攻用の木刀なんだよとか嘘をついたり、昨日五人に囲まれたけど田島君の名前お出したら逃げ出したよとか

後はただのオッサン捕まえてあのひとヤクザの組長なんだよとか・・・😀

とにかくマスオは嘘ばっかりついていました。

もう1つマスオがよくついてた嘘は、俺は女にモテるとか馬鹿なことを言っていた。あの女から良く迫られるんだよとか、その女を家に呼んだらいきなり優しい

キスをしてきたとかとにかく妄想がすごい奴だった。#カメレオンの矢沢のようなハッタリ😀

いつものようにマスオが嘘をついて私が嘘つくなよと言うとマスオは嘘じゃねーよ!嘘だと思うならブルーハリーに聞いてみろよとかいって知らん名前を出して誤魔化してたマスオです。

#ブルーハリーって誰だよ

#オーバザトップに出てきた決勝の時のおっさんヤン

それでもその当時はマスオといると刺激的だったのでツルんでいた。

マスオは私と梶原君を物で上手く釣っていた。まだ私も梶原君も未熟だったので・・・

ある日マスオが原チャリをもってきてこのバイクで暴走族をやろうぜ!ってマスオが持ちかけてきた。勿論たのしそうなのでok をした。

原付の車種はバラと書いてあった。50ccだったが楽しかった。その日1日乗る練習をしてその夜3ケツで運転手を変わりばんこで集会をした。よく捕まらなかったと思う。この時初めて暴走族ごっこをした。暴走族のチーム名はベイライナーに決めた。

その後バイクが壊れて解散した。😀

その後もマスオと梶原君と私で悪いことを繰り返したんだがマスオは危ない奴と思い縁を切ろうとしても切らしてくれなくって大変だった。かなりのカマってちゃんなので苦戦した。あまり相手にしないとお前の親に俺と悪さしたことを全部お前の親にしゃべるぞと脅してきたり私の自転車をパンクさせたりどうしょもなかった。そして梶原君の自転車もパンクさせられてていい加減頭に来てマスオの家にいってブッ飛ばしてやろうと思ってマスオの家に行ったら留守だったのでマスオのチャリンコのタイヤをパンクさせた。

だいぶ気分も晴れた。

次の日マスオと会ったらムカついてチャリ壊したよ!とか自分で

言ってまた訳のわからん嘘をついていた。

そんなこんなでまた仲直りをして遊んでいた。マスオのボンタンのポケットには

いつもビーフジャーキーが生身で入っていてとりあえず食えよって

言われよくその汚いビーフジャーキーを食べさせられた記憶がある。😀#汚いがビーフジャーキーは美味い

そんなマスオもハッタリばっかりこいていたので先輩にブッ飛ばされて投稿拒否をしてしまった。そんな感じで1年は終わり2年生になった。

中学2年になってから怖い先輩も卒業したので堂々とボンタンを履いて学校に行っていた。2年生になり担任の先生がうるさくなかったので調子に乗って好き放題

やっていた。授業中抜け出して学校の近くのウケジ公園に行ってよくタバコを吸っていた。そんなことを繰り返し暇をしていたある日に小学校の時にキャンプに連れてってもらった松木の親父さんにおまえら暇ならレースでもやるか?って神的な

お誘いを受けて千葉のレース場に連れてってもらった。誘われたメンバーは

松木君、梶原君、岸君、と私の4人でした。

50ccスクーターだったので余裕かと思っていたらレース場で走るとコーナーを攻められなかったのメチャクチャ難しく恥をかいた。何周もしてるうちに慣れてきて

いい走りができるようになって上達したことが嬉しかった。

そのスクーターは岸君の家に止めさせてもらっていた。そのスクーターはレース用だったので鍵がなく直結だったので私たちは、馬鹿だから荒川の土手で練習しようぜ!的な軽いノリで荒川の土手で練習してました。

松木の親父さんからは路上では絶対乗るなよと言われてました。しかし絶対乗るなよと言われるとそれはフリだと思い乗りたくなるのが男の性ですよね😀

#本当にチンカスです

そして土手でスクターを練習してる所に白バイに松木君と岸君が2ケツしてる所を発見されて捕まってしまった。また大人を裏切てしまった。

その後警察にいって家庭裁判所で話し合い解決した。

松木君のお父さんに直ぐに謝りにいって2、3発殴られるかなっと思ったけど殴られるじゃなく説教されてお前らボーズにしてこいと親父さんに言われ

4人共反省ボーズにした。その日をさかえにレース場には連れてってもらえなくなった。#そりゃそうだろ!#松木の親父さん本当にすいません。

話は変わりその年の夏に小林家で沖縄に行くことになった。

私のお袋が沖縄で親戚に会いに行くと言うことで沖縄旅行にいった。親友の梶原君は大の海好きだったので一緒に同行しました。#親友梶原君

沖縄の那覇空港に着いたら親戚が迎えにきてくれて家にむかいました。

家に着くや否や親戚の叔父さんがせっかく東京から来たんだから海でも行くかと誘ってくれた。ヒデジさんと言う叔父さんが私たちの担当をしてくれました。

直ぐにビーチにいって綺麗な海に僕たちは感動して、すぐに海でジャレあって

バックドロップをやりあって楽しんでいました。そのあとシュノーケリングをしてすもぐりでいろんな魚を観察した。#沖縄の海最高

夕方の7時まで海でひたすら遊んでいた。その後私たちは別行動で夜の米軍基地の近くで社会科見学をしてから広いところで車を運転をさせてもらいました。

#得意の無免 #ぜんぜん懲りない

梶原君も私もはじめての車の運転でめちゃくちゃ面白かった

その日はそれで親戚の家に帰った。夜抜け出して外に遊びにいった。

梶原君は当時付き合ってた女子がいたので羨ましかった。その彼女に電話をして盛り上がってる姿が非常に腹立たしかった。😀

私も好きな人がいて沖縄から電話で告白をしようと決めていました。勇気を出して電話をしました。その好きな人とはほとんど喋ったことない。完全に一目惚れでした。その子はリンドバーグの渡瀬マキ似でとても好きな顔でした。#若い頃は顔で決める

電話ごしで少し話して沈黙が嫌だから私は突然告白しました。俺とつき会ってください!とだけ伝えた。#なぜok#女子を知らないチェリー

なぜか彼女はokをしてくれた。最高に嬉しかった。またかけるねと言って電話を

きってから雄叫びをあげた。#エイドリアーーン#エイドリアーン

そして彼女ができた初めての彼女だったので1日中彼女のことを考えていた。

そして梶原君はすでにチェリーを卒業していた。羨ましすぎていつもプレーの体験談を梶原君に教えてもらっていた。俺も今年中にチェリー卒業すると意気込んでいた。しかしその彼女とは交わることはなかった。😢

旅行2日目は西表島にいって観光を楽しんでいた。私と梶原君は2人で行動をしていたのでなにか面白いことはないかとアンテナを張っていた。そしたら鍵つきの原チャリがあったので拝借して乗らしてもらった。最悪です。もちろん返しましたよ!

そのあとも観光は、続き探索をしたが何もなかった。そして船での帰りに何か

行く時より人が少ないと思っていたら、2人ほど置いてけぼりにあったみたいで置いてかれたのは親子で娘とお父さんらしく築いたのが夜らしく後に大事件になった。

そして帰りに国際通りでおみあげを買いにいった。初めての彼女にカッコいいおみあげを買っていきたくって迷うに迷いなぜかバドワイザーの照明を購入した。

#センスなさすぎ #バドワイザーって・・・

梶原くんは置き時計を買っていたと思う。私よりセンスがあるのは間違いない😀

なんだかんだで楽しい沖縄旅行でした。

そして中学3年になりさらに好奇心が湧いてきた

勿論受験なんか眼中になかった。三年生の時の担任は初めての女性担任でした。

私は担任からひでと呼ばれていてよく持ち物検査をされてタバコを没収されていた。


喧嘩編

ある日に隣の隣の中学

吾妻三中生が我々の墨中に喧嘩を売りにきた。

それもたった二人で乗り込んできた。その二人がテメーらに喧嘩売りに来た

隅田川にいるから来いよと言われたのでわかった行くよ!と伝えました。

その二人がめちゃくちゃ気合が入っていてめちゃくちゃ煽ってくるので思わずその場で二人を袋叩きにしてしまった。#最低な人間でした。#馬鹿なの

#もう少し待てよ

相手も隅田川で10人で待ってたみたいだが私たちが馬鹿でキレやすかったので学校の正門で袋叩きにしてしまった。#私は手を出してない#止めていた

そして先生が来てしまい終わった。#隅田川で待っていた10人ゴメン

その後何も音沙汰が無かったが変な所で吾妻三中生の悪ガキとカチ合ってしまった。

それはあ祭りで起きてしまった。中学と言えばお祭りが楽しみでしたよね?仲間4人でお祭りにきました。

神社で食べる焼きそばとお好み焼きが美味しかったですよね?

お好み焼きは屋台だと半熟が多かったけどやはり友達同士外で食べる夜飯は最高でしたよね?私は型抜きが得意で1000円のを抜いたことがありました。#自慢

#抜くって・・ _

そんなんで楽しかった時間が一気に地獄になってしまった。この前袋にした吾妻三中の悪ガキが10人位でやってきてテメーら墨中かっ!この野郎〜この前はダチが

世話になったな!#この時袋にした2人はいなかった

その時たまたま戦闘力がある人間が僕と梶原君しかいなくって後は草食系男子が2たりだったので逃げろ〜ってみんなで逃げました。僕は草食その1と逃げてなんとか逃げ切りました#小学校の時リレーの選手

そして運悪く草食その2と梶原君の逃げた方に悪ガキたちは追って行って梶原君は捕まってしまった。2発3発殴られて許してもらったみたいです。

#梶原君その節は本当にゴメン何故かこの時の因縁は梶原君がおさめた


もう一つ喧嘩の話

中学の頃は時間は有り余っているがお金がぜんぜんなくって

その頃桜橋コミニティーセンターと言う場所で私たちはたむろっていた。

そこでは物作りができたり、ドッチボールができたりバンドができるスタジオがあったりたまるには最高の場所だった。夜の8時まで営業していました。

そこのバンドをやりに来ている隣中学の奴らがよくガン飛ばしてきたので、

気に入らないと言うことでよく仲間内で話題になっていた。

そこでたまたま人数が合ったのでタイマンで喧嘩しょうぜって

ことになりそこの中学の問題児が堤君でした。ロン毛でピアスを10個位空けてベルボトムにエンジニアブーツを履いていて完全な渋カジでした。(渋カジとは渋谷カジュアル)

チーマー見たいな感じでした。その鐘中軍団は5人いてタイマでやっていこうぜ!

そして墨中先方織畑君vs堤君がタイマンを張った。

先手必勝で織畑君のストレートが入ってその後、頭突きを決めたんだが

途中で織畑君がバランスを崩した時に髪を掴まれ膝蹴りをくらい倒れた所に堤くんがサッカーボールキックを顔面に喰らい鼻が折れてしまった。鉄パンの入ったエンジニアブーツでのキックは倫理的にだめだろう!

しかし不良の世界では認められていた。#UFCかっ!

そこで桜橋コミニティーセンターの職員がきて止められてしまった。

そして織畑君は職員に病院に運ばれたが警察沙汰にはならなかった。

織畑君は全治1週間だった。

エンジニアブーツでのサッカーボールキックはいただけないと思い次の日にリベンジで10人ぐらいで鐘中に乗り込んでいったら先生方が待ち構えていて何もできずに終わった。

織畑君も酷い目にあったけど堤君のことは許すということで仲直りをして鐘中と墨中は仲良くなった。その時は知らなかったけど堤君はとんでもない悪だった

中学生なのにCBX乗ってきて

すげーと思っていた。堤君は何でも悪いことはやるのが早い少年だった。

CBXを2ケツで乗り付けてきてそのケツに乗ってるのが土田マーちゃんだった。

髪型は武丸みたいなリーゼントで決まっていた。#クレージマーちゃん

マーちゃんとは後に親友になる

堤君もマーちゃんも単車のフカしと、アクセルミュージックが最高にうまかった。

(鉄腕アトムとかQちゃんとか)

そんな感じで堤君が広い通りに行こうと言って墨堤通りに僕たちは誘導された。

マーちゃんがマフラーを外して直管にしてスタートした。その光景を見たときに感動と憧れをいだいてしまった。はじめは堤君が運転してる中で前と後ろが入れ替わり今度はマーちゃんがフカしてメチャクチャ上手くてカッコ良くみえた。

そんなこんなで堤君とマーちゃんは、しょっちゅう向島に遊びにきていた。

話は変わり中学生あるあるで卒業前になると

何故か他校が乗り込んで卒業前に爪後を残そうとして喧嘩を売ってくる

たまたま地元の公園で友達3人でタバコを吸っていたら10人ぐらいに襲われた

その時は戦闘力が高い奴といたので思いっきり暴れたが背後から鉄パイプで頭を殴られボコボコにされてしまった。

その友達もやっぱりボコボコされ鉄パイプで拳を叩かれ骨折してしまい悔しかった😭もう一人もボコボコにされて病院にいった。

別に仕返しにもいかず流れてしまった。

そして中学卒業する頃には暴走族が墨中の頭をスカウトをしにきてくれた。

当時墨中で一番強くバイクに興味あった鴇崎君と田辺君がスカウトされた。

そして中学の卒業式にバイクで正門にきて暴走族の門出を祝いわんさかフカしていった。そして鴇崎君と田辺君は暴走族になった。

暴走族の方と鴇崎君と田辺君は去って行きました。

そして卒業生男子は後輩女子からボタン下さいコーナーがはじまりました。

そして自慢ではないが私はけっこう後輩女子にモテていてボタンは全部なくなり学ランも

取られてしまった。最高に気持ちよかったです。😀

ちなみに私はつきあってた岡田さんにはフラれてしまった。

岡田さんは受験勉強なのでヒデとはもう付き合えないと言われてしまった。😭

そんな感じで中学をギリ卒業しました。

つづく








  

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