ショートストーリー おにぎりと卵焼き
エブリスタ妄想コンテスト『私を待っていたもの』参加作品
おにぎりに卵焼き。
それは、母が去る前に残した私宛の夕飯だった。
父と離婚した母の味。
それは、お袋の味として今でも記憶に残っている。
大きなおにぎりの中には、醤油と混ぜたおかか。
ちょっと味が濃い目の甘じょっぱい卵焼きは、焦げが良いアクセントになっていた。
家事が苦手な母の唯一無二の得意料理だった。
学校から帰ると、置いていたのはその二つ。
母は、父や私に愛情が無いわけでは無かったけれど、何よりも仕事を優先する人だった。
看護師をしていた母は、いつも私の知らない人の心配をしていた。
父は、そのことを咎めることは無かったが、寂しそうな顔をしていたことはあった。
そんな二人の離婚の原因は、母の仕事への情熱ではなく、おそらく私だろう。
母がまだ家にいたとき、母の仕事のことで言い争うことは無かった。
それに対して、私のことで言い合う二人はよく目にした。
加えて母と別れたあと、私と二人きりになった父は開口一番に、今日からのご飯は全部ご馳走だからと言った。
料理の苦手な母への不満が、幼い私にも見て取れた。
その日から、学校から帰ると待っていたのは簡素な夕飯ではなく父だった。
仕事をどうやってこなしていたかは、分からない。
だけど、帰れば必ずご馳走を作る父がいた。
一汁三菜どころか、おかずが七つ以上並ぶことも多かった。
おにぎりと卵焼きのセットは、出たことはなかった。
父はお弁当でさえ、その組み合わせを避けていたように思う。
それは、父のトラウマなのか。
私への配慮なのか。
聞いてはいけない気がしたし、食べたいということさえも気が引けた。
私は、父がおにぎりと卵焼きを恋しく思う日をずっと待っていた。
そのまま何年も、おにぎりと卵焼きのセットを食べずに、憧れだけをつのらせた。
久しぶりに、おにぎりと卵焼きを食べたのは社会人になってからだった。
八つ下の半同棲状態の恋人が作ったものだと、すぐに分かった。
合い鍵を持っているのは、父と彼だけだからだ。
家の事情で、小さな頃から料理をしていたという彼の作るものは、なんでも美味しかった。
食べたことのあるものは、だいたい味を再現出来る。
そう豪語するだけあって、彼は大概のものは美味しく作った。
おかげで、私はキッチンに立つことは無かった。
大学生の彼に甘えてしまうのは良くないと、思いつつ、仕事馬鹿な私は今日も彼の作った夜食に手を伸ばす。
隣には、小さなメモ。
昨日の読んだお疲れ様の文字を想像して、ニヤリとしてしまう。
筆まめな彼の一言は、毎日日替わりだ。
今日は、どんなことが書いているんだろうかと、脇にどける。
ワクワクは最後のお楽しみ。そんな感覚だ。
最初の楽しみに、おにぎりをパクつく。
遅くなるから、軽めで良いと言ったはずのおにぎりは、大きいのが一つ。
卵焼きは、わざとなのか少し焦げがついていた。
おにぎりの中身は、おかか。
卵焼きは甘じょっぱい味。
私の帰りを待っていた夜食は、母独特のあの味にそっくりだった。
驚いた反射でメモを見た。
見ない方が良かったかもしれない。
もう会わない方が良い。僕のことは忘れてほしい。
彼のメモは、全てを物語っていた。
だって私は、彼に母の味を教えたことも、作ってあげたことないのだから。
涙を流しながらを食べるその味は、あの頃と全く同じだった。
私の帰りを待つ味は、いつも悲しみを持ってくる。
それでも優しくて忘れることは出来なくて、捨てることももちろん出来ないのだった。