ショートストーリー 野球とマグロの赤身寿司

ねっとりと絡みつく食べ応え。
ほのかに甘い香りがスッと鼻を抜けていく。
後に残る酢飯の酸味とわさびの刺激が、名残惜しげに消えていった。

脚が早いわけでもなく、体力があるわけでもない。
そんな弟が唯一上手い野球。
小さい頃から、何年もやっていて当たり前なのだが、上手くコントロールして相手の三振を誘う。

小手先が器用な彼らしい。
しかし、盛り上がってきたタイミングですぐに打たれ続ける。
監督が控えの選手に声を掛けたのが応援席からでも、よく見えた。

試合には勝ったのに、弟はしょぼくれたままだった。
監督に大目玉を食らったらしい。
打たれ弱いのは、いくら練習しようと昔から直らない。

仕方がないので、弟を車に乗せて家とは逆方向にある回転寿司へ向かう。
いつもなら、回転寿司に向かうと分かっただけでご機嫌になるのだが、今日は違ったみたいだ。

どうしたものか。
信号待ちでハンドルを指で叩きながら考える。
年の離れた弟の世話は、いつも私で部活の送迎も両親に変わってやっているのだが、こんなことは初めてだ。
監督に何か言われたのなら、黙ってはおけない。

慎重に言葉を選ばなければ。
赤から青に変わった信号を見て、ゆっくりアクセルを踏み出す。
とにかく励ますのが先決か。
「チームが勝てて良かったわね」

その言葉を皮切りに弟は、ハアッーと溜め息を吐いた。
「俺の才能に俺のスタミナが追い付かない」
「は?」
「いや、だからぁ……」
「いや、もういいわ」
言い訳をし始める弟にウンザリして、さえぎる。

誰に似たんだか。
運転する私はそう思っているのに、助手席で一人語る弟は、あーだこーだと自分に対しての過大評価をいくつも並べている。
黙って聞いているだけでも恥ずかしくなるくらいだ。
どんな顔をして語っているのかと、運転席から横目で見る。

自分が弟の顔にほだされるのが分かり、つくづく甘いなと自嘲した。
弟の目の端がほんの少しだけ濡れていたのだ。
「明日から走り込み頑張ろうな」
それだけ言うと、弟は目と鼻を雑に拭っていた。

回転寿司屋についてから、タッチパネルの前で何にするか二人で悩んだ。
マグロも良いけれど、どの部位を食べるか。
それが問題だな。
などと二人で冗談のようなやり取りをする。
楽しそうに笑う弟に、いつもの元気をみて安心した。

タッチパネルを突きながら、ふとテレビで聞いた話をする。
マグロは酸素を取り込むために死ぬまで泳ぐらしい。
難しい理屈は覚えていないがそうらしい。
スタミナが欲しいなら、あやかってマグロを食べたらどうだ。
これもほとんど冗談だったのだ。
だが話を聞いた途端、弟の目はキラリと光る。

馬鹿みたいにひたむきな弟は、その日の寿司はマグロ尽くしだった。
いや、その日にとどまらず毎日マグロを食べる。
赤身が低カロリー高たんぱくと聞いて、赤身ばかり食べるのは財布事情的にも良いとして……。
一直線すぎて魚市場まで行ったのは恐れ入った。

今では魚市場までほぼ毎日ランニングしている。
味が違うと一点張り。
味比べをさせて貰ったことがある。
確かにスーパーで売っているより、風味も濃くて甘さが際立っていた。

だが、魚市場まで何十キロも走っていたら、そりゃあスタミナも付くと言いたい。
今日の練習試合は母が送迎していた。
帰宅の連絡を受けて、酢飯を作る。
ただいまの声を聞けば、弟が今朝買ってきたばかりのマグロを散らす。

まばゆい笑顔の弟の成績は、聞かなくても分かりきっていた。

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