ショートストーリー 卓球とロールキャベツ

ジューシーな肉汁がとろけるキャベツを破って溢れ出す。
幸福な汁が心を満たす。
鍋の中でひしめき合う真っ赤なトマト色に染められた塊の数だけ幸せになれる気がした。

ピンボールが顔のすぐ横を通って風をきる。
シュッという音は、髪に当たったからだった。
髪をかすった感覚があっても風の音だと間違えてしまうくらい早かった。

びっくりして固まっていると「すみません」と青年に声をかけられた。
「いえ、こちらこそ」
そう言って、そそくさと倉庫へ走った。
キュッキュッと響く靴音は、どんくさい私とはまるで正反対で、急かされているように聞こえていた。
県営の体育館の事務員をしている私には、卓球であっても無縁のスポーツだ。
さっさと、この場所から離れたい。
その一心だった。

倉庫の手前で、チカチカと切れそうな蛍光灯を見つけて、脚立に登って新しい蛍光灯に変える。
いつもなら、誰もいない時間や空いている時間を見計らって仕事をするが、今日は体育館の使用予約がいっぱいで一日埋まっていた。
仕方なく、蛍光灯を納入業者の人から受けとってすぐ体育館に来てみた。

スポーツの練習中はどんな人でも、ピリピリしているから嫌いだ。
今体育館を使っているのは近くの大学生の卓球サークルだったが、関係なく恐怖は感じる。
真剣や、真面目を通り越し闘志に身がすくむ。
先輩達は、他のスポーツならいざ知らず、卓球サークルの大学生にそんなものは感じないという。

先輩達から言わせれば草食系なんだとか。
オレンジ色の小さな球を猛スピードで叩く彼らが、ライオンでなければなんなのか。
先輩に食ってかかるとロールキャベツ男子だと、彼女らは古くなった言葉で盛り上がっていた。
それはそれで萌える。先輩達はそう笑っていた。
それならば、変わりに蛍光灯を変えて欲しかったけれど、気弱な私は言えなかった。

ドキドキしながら蛍光灯を変える。
だが、緊張からか上手く取れなかった。 

「あのー……」
焦っていたことと、誰も私に構わないと思っていたこと、つまり油断していたのだけど。
そのせいで驚いた。
ビクッと肩が上がった拍子に、外れた古い蛍光灯が手からすっぽ抜ける。
声をかけた青年が、慌てて手を伸ばす。
ガッシリ掴んだ蛍光灯を見てナイスキャッチ!と思わず大声が声が出た。

私のあまりの慌てぶりに彼は大笑いしていたが、蛍光灯が割れでもしたら仕事が増える。
本当に助かったのだ。
一度脚立から降り、礼を言う。
上からでは分からなかったが、柔和な顔をしている。
思っていたより怖くなさそうだと印象を改めた。

何かようかと私が問うと彼は、言葉に詰まっていた。
備品でも壊れて言い出しにくいのだろうかと、思っていたところだった。
しわくちゃに折り畳んだ小さなメモ用紙を蛍光灯と共に強引に渡してきた。
それだけ済ませると、彼はサッと身体を反転させて倉庫を出ていった。

残された私は、ポカンと呆けていた。
オレンジ色の小さな球のスピードにはついていけないが、さっさと練習に戻る彼の横顔はコマ送りみたいに遅く見えたからだ。
耳まで真っ赤で、メモ用紙に何が書かれているのか読まなくて分かった。
どんくさいのが嘘のように素早く蛍光灯を変え、明るくなった体育館倉庫でメモの中身を確かめた。

卓球台を陰にしてコッソリメモを見る。
中身はやっぱり、彼の名前と連絡先が書かれていた。
私が事務所に戻る時、彼はまだトマトみたいに赤い顔で練習をしていた。
表情そのものは、真剣。
だけど確かに、あの闘志とメモを渡しに来るギャップは、ロールキャベツの名前にふさわしかった。

その日の夜、夕飯にロールキャベツを作ったのは、ただの偶然。
だけど、真っ赤なトマトスープと柔らかなキャベツとジューシーな肉に彼を意識したのは間違いなかった。
彼の顔を思い出しては落ち着きなくクローゼットを開ける。
来週のデートに着ていく服を念入りにチェックしてしまうのだ。

沢山の記事の中から読んで頂いて光栄に思います! 資金は作家活動のための勉強(本など資料集め)の源とさせて頂きます。