ショートストーリー カツオのたたき

ニンニクと生姜、ミョウガにネギ。
薬味をふんだんに巻いて食べる。
強い香草に負けない豊満な味わいと藁焼きの香りに、酒が進む。
酒の入ったグラスをあおる姿が似合う夫は、終始笑顔だ。
この笑顔、守りたい。
可愛く笑う夫に、キュウと胸が鳴る。

スーパーに売り出された一冊。
数日前からこの一冊を待っていた私は、すぐ様カゴへ入れた。
魚コーナーから野菜コーナーへ戻り、薬味という薬味を買い込んだ。

普段は仏頂面の夫が喜ぶのが、目に見える。
同じ職場だった私は、彼の真面目過ぎる仕事ぶりも実直さもよく知っている。
お上の鶴の一声で企画がなくなっても、残業が続こうと、部下が失敗しようと、顔色を変えない。
本人曰く、どれもこれも人間ならよくあることらしい。
表情が乏しすぎて社内では浮いていたが、顔以外は仏のような人なのだ。
誤解されやすさに悩むくらい、本来夫はピュアだ。
そんな夫の笑顔を守るため、私は主婦をしていると言っても過言ではない。

帰宅後、夫にメッセージを入れると、既読になると同時に、はしゃいでいるキャラクターのスタンプが送られてきた。
強面な男が可愛いスタンプを妻に送っているなんて、きっと彼の仕事仲間達は想像もしないのだろう。
それも、夕飯が初物のカツオのたたきというだけで、舞い上がっているのだから誰よりも乙女だ。
『春だー』
短いメッセージから、夫の浮かれ度合いが知れて笑ってしまう。
彼の可愛さを一人占め出来ているようで、メッセージすら愛しくなる。

高知県のカツオのたたきのファンの夫。
この時期になれば、花見と称して二人で旅行へ行くのだが、去年も今年も駄目だった。
仕方ないと言いつつ、しょげ込んでいた夫に、せめてお腹いっぱい食べてほしかった。
美味しい魚に定評があるスーパーに数日通ったかいがあったというものだ。

大皿に切ったカツオをのせていく。
飾りっけはいらない。
ただグルリと円を描くように乗せるだけ。
最後に、どっさり切った薬味を同じ乗せて終わり。
ビールもお酒もご飯も準備できている。

あとは、満面の笑みで帰ってくるはずの夫を待つだけだ。

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小早川 胡桃
沢山の記事の中から読んで頂いて光栄に思います! 資金は作家活動のための勉強(本など資料集め)の源とさせて頂きます。