ショートストーリー アサリの酒蒸し

一晩かけて、砂抜きしたアサリを食べた。
このアサリ達は、さっきまで気持ち良さそうに塩水に浸かっていた。
水鉄砲みたいに水を飛ばして生きていた。
そのことを考えると、命を食らっている実感がグワッと襲ってくる。
喉を通るプリプリのアサリが、血肉になるのを感じた。

『死ぬ前に食べるなら何が良い?』
酒の席で、高校の時からの友人達とそんな話になった。
子供が話すような話題。
だけど、それが一番盛り上がったりする。
「俺は、母さんのおにぎり」
「あ〜、分かる。それに、練習試合の時に差し入れしてくれたオバさんのおにぎり美味かったし。納得だわ。俺もお袋のおにぎりは一瞬考えた。でも、やっぱ俺は酒だな。大人だから」
「何が大人だよ。飲んだくれでオバさんのこと心配させてるくせに。お前は?」
高校時代の思い出と共に、それぞれの美味しいものが語られ、自分もしみじみ同意していたところへ順番が回ってきた。
回らない頭で逡巡し、思い浮かんだのは昔から変わらない好物だった。
「肉かな」
「かぁっー! お前、またそれかよ」
「本当、お前は昔っから肉ばっかだな」
友人二人は、変わらない俺に大笑いした。

そんなにおかしなことを言ったつもりは無い俺は、ムキになって反論する。
「良いじゃないか。肉を食べると元気になるし、生きてる!って感じするじゃん」
「死ぬ前に、元気になってどうするんだよ」
「生き返るとか?」
くだらないやり取りでバカ笑いをされる。
別にいいじゃないか。
と膨れて酒を煽った。

「でも、俺の酒も元気になるから一緒かもなー。やっぱり、死ぬまでも死にたくねぇのかもなー」
一笑いしたあと、急に真面目な顔で酒好きの友人が言った。
その言葉で冷静になった俺達は全員で、そうだそうだと頷いた。

「お袋のおにぎりも元気出るしな。練習試合で持ってきたのは恥ずかしかったけど」
「いーじゃねぇか。おにぎり美味いし。俺達は嬉しかったし」
「肉も美味いぞ」
「酒もな」
「そればっかだな」
皆、頭が回らなくなってきて、好きな食べ物で脳が埋め尽くされてきた。
これくらいで、そろそろお開きにしなければ誰か倒れそうだ。

二人も同じ考えだったようで、それぞれ財布を持って立ち上がる。
よく見ると、酒好きは真っ赤な顔をしていた。
なんとか持ちこたえていたが、もう少し早く切り上げればよかったかと後悔する。
店の外に出ると、少しばかり酔が冷めてくる。

案の定フラフラで千鳥足の酒好きが、俺達二人の肩を組んできた。
二人でギャッと声をあげて、やめろと言っても聞かない。
さっさとタクシーに乗り込ませようと、大通りまで二人で引きずる。
昔、走り込みでフラフラしていた俺達に、走れと声掛けしていた彼を、歩けと声をかける状況に可笑しくなってくる。
笑いながらでも、歩け歩けと促すと彼はふと呟いた。
「それでもさ、死ぬ前くらいはお前らと良い酒を飲みてーよ、俺は」
その言葉に絆された俺達は、タクシーの運転手に行き先を告げ、運転手にいくらかお金を渡しておいてしまうのだった。

帰宅すると、妻がキッチンでアサリの砂抜きをしていた。
明日は、アサリの酒蒸しにするらしい。
肉好きな私も酒という言葉に騙され、たまには良いなと頷いた。
翌日、出てきたアサリの酒蒸しは酒の香りが充分に移っていた。
昨夜の酒好きの言葉が蘇る。
このアサリ達は、仲間と一緒に死に際に酒を飲めたのだろうかと感慨深くなる。
この時ばかりは、肉よりもアサリの酒蒸しの方が少しだけ好きなった。

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