ショートストーリー メロンパン
袋から出したパンの熱が、春の陽気に混じり私の手を暖めた。
ふっくらした中央の盛り上がりと、格子状の表面にときめく。
砂糖が反射でキラキラ光る。
それが、おとぎ話にでてくる食べ物みたいだった。
入学式の人の多さに酔ってしまい、コッソリ式を抜け出した。
人目を避けて、校内を彷徨う。
これから何度も通うこととなる一年一組の教室。
誰もいないのに、活気が残る二三年生の教室。
怪しげな薬品臭の理科室、涼しそうな視聴覚室。
機械の熱と匂いの籠もるパソコンルーム。
職員室以外は、ほとんど周った。
どこに行こうかと迷っていると、カツカツとヒールを鳴らす音が廊下に響いた。
何も考えないで、音のする方向を避けて校舎をでた。
思わず校舎の反対側に出てしまう。
住宅街のど真ん中に位置する学校だけあって、校舎裏は細い裏路地となっていた。
香ばしい香りが路地から香る。
匂いのもとを辿る。
フェンスが邪魔して、よく見えないが赤い屋根に白壁の小さな家に、看板が立てられている。
きっとあそこからだ。
香りにつられた私は、フェンスを周って学校の敷地から離れた。
他の家と比べても小さな店のドアには、OPENとプレートが掲げられていた。
遠慮なく店内に入ると、ところ狭しと並べられたパンの山。
いらっしゃいませと、声をかけたのは優しげなお婆さんだった。
制服姿の私を見て少し驚いた顔をしたが、何も言わずに微笑むだけだった。
私はお婆さんの好意に遠慮することなく、トングとトレーを持ち、数あるパンの中から一番好きなメロンパンを探し出す。
クマやアヒルの形のパンに、チーズたっぷりのパン、スパイシーな香りのカレーパンが並び宝探しみたいだった。
もう少し楽しみたい気持ちを抑え、入学式を飛び出したことを思い出す。
名残惜し見つつ、少し古びたレジの前に立つお婆さんに、トレーとトングを渡した。
お金を手渡し、紙袋に入れてくれたパンを受け取ろうとした。
だがお婆さんは、なかなか手を離さない。
どうしたのかと、話しかけようとすると
「パンは焼き立てが美味しいのよねぇ。外で食べるとなおのこと」
お婆さんの言いたいことが分からず彼女の目を見た。
瞳が合うと、彼女は老眼鏡の奥の粒らな目で可愛げにウィンクする。
「図書館裏の桜の木の下とか、最高に美味しいく食べられる場所なのよねぇ」
そう言うと、パンの入った紙袋を離してくれた。
私は、途端に可笑しくなってニヒヒと彼女に笑いかけ「ありがとう」とお礼だけ言って店を出た。
学校に戻り、さっそく別館の図書館の裏手に周る。
舞う桜の花びらに誘われるように足をすすめると、一際大きな桜の木だった。
ハンカチを敷いて、桜の木に凭れてパンを噛じる。
ふわふわのパン生地、さっくりとしたクッキー生地、バターの香りと砂糖の甘さ、視界に広がるピンク。
すべてが夢幻のような瞬間だった。
食べきる頃には、体育館からザワザワと人の声が聞こえ、私はそっと教室に戻った。