ショートストーリー 松茸ご飯と保健室
香り良し。
歯応え良し。
松茸が入っている。
その事実が心を踊らせる。
いつもより、味に、匂いに敏感になる。
幼稚園に通っていた頃は、お弁当だった。
だから、母意外の人が作ったご飯を食べる機会はあんまり無かった。
小学校に上がってからの給食は、家では食べたことがないものがたくさん出た。
いつも、おかわりをしてお腹いっぱいになって帰った。
そして、美味しかった話を毎日持ち帰った。
その日は、たまたまお腹の調子が悪かった。
給食を食べたくて母に黙って、登校した。
けれど、お腹はどんどん痛くなっていった。
四時間目の途中で耐えきれず、保健室に。
担任の先生は、母に電話をしていた。
うちは貧乏だから。
なにかと母は、これを言う。
忙しいとき。
料理をするとき。
褒めるとき。
謝るとき。
覚えている限りの古い記憶を辿っても貧乏がついて回った。
だから、給食は食べたかった。特に今日は。
それに、母に迷惑をかけたくなかった。
そんな思いとは裏腹に、保健室に担任から電話があった。
母だと、ピンとくる。
私は、ベッドでうずくまって申し訳無さでいっぱいだった。
布団の中で、母が迎えに来れないと言ってほしいと、願っていた。
保健室の先生は明るい調子で母が、迎えに来ると教えてくれた時は絶望にも似ていた。
こうなっては、仕方がない。
松茸ご飯は諦めるしかない。
本当は、食べた感想だけでも母に味わってもらいたかったのだけど。
残念で悲しい気持ちになると、ジワジワお腹の痛みがぶり返す。
イテテと、お腹を抑えて母が迎えに来るまで眠りについた。
我が家では、松茸を買うというのはちょっとしたイベントだった。
薄い松茸は、炊きたてご飯に香りを移す。
ご飯の上に乗っかった松茸は一人三枚ずつ。
じわりじわり。
一枚ずつ大切に味わう。
味というより、香りを食べていた。
高級感とかも含めて食べていた。
美味しい。
その言葉しか出なかった。
作った母は、本当に嬉しそうだった。
目が覚めると母が居た。
保健室の先生と談笑していた。
保健室に母がいることに違和感があり、私はしばらくポカンとしていた。
私が起きた事に気付いた母は、大丈夫かと訪ねてくれた。
そして、賞味期限切れのハムが良くなかったのかしら?と笑う。
気付かない間に、そんなものを食べさせられていたことに正直驚いた。
それでも母は続けて、調子が悪いなら早く言いなさい。と私を心配してくれた。
寝癖を手櫛で整えてくれて、それがむず痒かった。
母の手のぬくもりが、お腹にまでじんわり広がるようだった。
担任の先生が荷物を持ってきてくれたが、先生は一言二言母と喋ると教室へ颯爽と帰っていった。
確かに、先生がいないとクラスはいつだってめちゃくちゃだ。
私は、他人事みたいに大変だなという気持ちを込めて、さようならと手を振った。
お腹の痛みもほどほどに引いて帰る準備をする。
ベッドから降りて、保健室の先生にもお別れを言おうとしたら、先生はラップに包んだおにぎりを二つ持たせてくれた。
今日の給食は松茸ご飯だから特別。
シーと唇に指を立てて内緒のポーズをしながらくれた。
母と二人で、喜んで帰った。
給食の松茸ご飯は、美味しかった。
母の作る松茸ご飯よりも松茸は入っていなかったけれど、美味しかった。
母と一緒に食べられたということもある。
でも、それ以上に貧乏なうちだけではなく、普通に働く保健室の先生や他の皆にとっても松茸ご飯は特別なものだと分かったからだ。
特別な味わいが給食によって、家と学校の二回楽しめる。
幼いわたしにとって、これほど幸せなことはなかった。
保健室の先生は、きっと私の家庭の事情というものを知っていたのだろう。
後から考えるとそう思う。
私は生徒たちが授業を受ける時間。
保健室で一人、静かに生徒を待つ。
今日の給食は松茸ご飯。
あの頃より、お金に余裕はいくらか出来た。
それは私自身も世の中もそう。
だけど、松茸ご飯が特別なことには変わりない。
廊下に繋がる保健室のドアがカラリと音をたてた。
心細そうな表情で、お腹を押さえる生徒の姿。
カイロを持たせてベッドへ誘導すると、すぐに小さな寝息をたてていた。
担任から生徒の保護者の迎えがくると内線をうけた。
私は、ついでに調理員のおば様方に、コッソリと連絡を入れる。
おにぎりを二つお願いする。
食の素晴らしさを知っている彼女達は、二つ返事で快諾してくれた。
翌日、生徒は登校してすぐに保健室へ寄ってくれた。
美味しかった。という言葉は一日の励みになった。
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