長崎ー祈りの旅ー
いつかは行きたいと思っていた町、それは長崎。
ずっと気になっていたのです。
長崎といえば・・、人類史上、戦争で原爆投下が行われた最後の町。
そして、アウシュビッツの聖人コルベ神父が戦前の日本で最初に布教を開始した町。
そして・・、戦国時代から連綿と続いてきたクリスチャンの町。
日本にはあらゆる町に神社仏閣が多く存在すれど、この地には、人々の祈りがそれとはまた違う形で存在するような気がしていて気になっていたのです。ちょうど遠藤周作の「女の一生」を読んだこともあり。
今まで仕事で長崎県に行ったことはあったけれど長崎市内はほとんど行ったことがなかったので、今回出張の帰りに半日ほど立ち寄ることにしました。
当日は諫早のSHIN-HOTELからスタート。
九州新幹線開通で諫早駅はすっかりきれいに変貌しましたね。(スターバックスが改札前に鎮座してるところが安易な「近代化・シティ化」の象徴みたいな気がしてどうかと思うけれど!)
朝はホテルの朝食会場のSEATTLE'S BEST COFFEEで。いやいやスタバもシアトル系やんというツッコミはさておき、朝食美味しかったです。
さて今回のツアールートは以下のとおり。
諫早駅ー浦上駅(JR)
浦上前駅ー原爆資料館駅(市電)
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<長崎原爆資料館・長崎原爆死没者追悼平和記念館>
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<浦上協会>
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市民プール前ーグラバー園(バス)
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<聖コルベ館>
半日じっくり見学したので、これだけでへとへと。
いずれの箇所も重たいテーマなので、じっくり噛み締める旅となりました。
長崎原爆資料館・長崎原爆死没者追悼平和祈念館
朝イチに入館。市電駅から坂道を登って向かうも、入り口がどこにあるのかがわからなくてうろうろ。施設が地下にあるとは・・。
大荷物をもって入り口探しであたふたしたので、荷物をどこかに預けてからくればよかったと朝からお疲れモード。
入り口からさらに地下へと入り込んでいきます。螺旋状のスロープをまわりおりながら、次第に1945年の世界へと向かう、すばらしい導入部分。
この螺旋状のスロープ、デジャブが・・。そう、イタリアのバチカン美術館。
原爆で一瞬にして町や営みが破壊された、その被害や悲しみは改めて語るに及ばず。展示されている写真やオブジェ、資料が静かに「これが戦争なのだ」と教えてくれます。
一番強力に心に残ったのは、原爆FAT BOYの実物大模型。
あんなちっぽけなプルトニウムだけで・・すべてを破壊し尽くせるのかと、しばし呆然。
プルトニウム。Disneyのキャラクタープルート(Pluto)の語源でもあるローマ神話の「冥界の王」プルート。ギリシア神話だとハデス。
「死」そのものの名を冠したこの呪われた破壊物質は、こんなに小さなものだったのか・・
ひたすら言葉なく立ちすくむしかありませんでした。
円安の影響か、外国人観光客も多かった原爆資料館。皆さん真剣に展示を見て説明に耳を傾けていました。
地下の連絡口から長崎原爆死没者追悼平和祈念館へ。平和祈念館もまた地下に作られているのです。
こちらは原爆の犠牲者を弔い、祈りを捧げる施設で、原爆で亡くなった犠牲者の名簿や原爆体験の資料が収められています。
ここで、先ほどこの大きな敷地内で迷ってしまった時に見かけた、不思議な円状の木立と池とガラスのオブジェの意味を知ることに。
地下は天井が高く、神殿のようでした。通路をすすむうちに、おそろしいくらいおごそかな静寂に包まれていきます。
通路の両脇は木目の壁なのにどうしてこんなに無機質に感じるのだろう・・と違和感を感じて不安に思っていたら、コンクリートに杉板の本実を型取り、一枚ごとに段差をつけた打ちっ放し仕上げでした。
地上は生きるものの世界で、地下は黄泉の世界。まさにプルートの世界にいるかのよう・・。
慰霊の追悼空間は地下からほんのわずかな地上を見上げる構成。
そびえたつガラス柱の上は開閉式のトップライト。ガラス天井です。十字架のようにもみえるトップライトを見上げて、あの日、あの瞬間、空を仰いだ人たちのことを思い、しばし佇みました。
膨大な犠牲者の写真や手記を拝見しましたが、こうして生きた証をここに残せた人はほんのわずかだったはず。一瞬にして物言わぬまま、または生きながら地獄を垣間見てプルートの黄泉の世界に連れ去られていってしまった多くの人たちに思いを馳せた数時間でした。
浦上教会
原爆資料館から徒歩数分の距離の浦上教会。坂の上にある浦上教会は爆心地のほぼ直下だったため全員が爆死、一部の崩れた壁だけが残ったのだそうです。
ここで見たかったのは、「被爆のマリア」像。聖母マリアの首から上だけが奇跡的に残り、戦後ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世も祝福に訪れたといいます。
ちょうど教会では信者の方の告別式が祭壇で行われており、そおっと後ろにある被爆のマリア像を見学しました。
実物を拝見して感じたのは、ガラスの両瞳は溶け空洞の目に煤けた頬の痛々しいお顔であったものの、思っていた以上にかわいらしいお顔立ち。
直前に被爆のマリアの絵画を見ていたせいか、すごく鬼気迫ったマリア像をイメージしていたのでえっ・・?とびっくり。それどころか小さなかわいらしいお顔に思わずほほえんでしまいました。
拝見しながら、ドイツのドレスデンのフラウエン(聖母)教会のことを思い出していました。フラウエン教会も第二次大戦中に連合国軍の空爆にあい、瓦礫の山と化しました。そしてそのまま東西冷戦が終わるまで40年以上放置されたのです。冷戦後、戦前の美しい教会に再建され、私も完成直後に行ったことがあるのですが、あの時も仰ぎ見た聖母マリア像が思っていたよりもかわいらしいと感じたのでした。
浦上でフラウエン教会を思い出したのは、聖母マリアつながりだからでしょうか。聖母マリアとは、人々の救済のために、自らがボロボロになりながらも見る人の心をなごませ勇気づける存在なのかもしれません。
聖コルベ館
浦上教会から坂をくだり、バスに乗ってグラバー邸近くまで一気に南下。途中、川岸の向こうにそびえたつ長崎原爆病院の大きさに、今も原爆の後遺症に苦しむ人がいるのだと考えながら、昔の出島の近くのグラバー園手前の聖コルベ館へやってきました。
コルベ神父については別のnoteで触れたいと思いますが、アウシュビッツ強制収容所である収容者の身代わりを申し出て餓死刑にて亡くなったポーランド人神父です。戦後、同じくポーランド人教皇ヨハネ・パウロ2世によって列聖された、世界的にも有名な殉教した神父です。
戦前、長崎に布教のために来日して長崎に拠点を構えていたとのことで、どうしてもコルベ神父の足跡を知りたいと訪問しました。
コルベ神父は個人的にとても興味深い人物で、少年時代から数学の才能に恵まれロケットの図面を書いたりと科学的な才能を持つ反面、夢に見た聖母マリアから告げられた自分の試練の暗示を信じ、無原罪の聖母の騎士という組織を立ち上げ布教し、アウシュビッツでは友の身代わりを選択して亡くなった、科学と宗教という一見相反する事柄の中で激動の時代を生きた人物です。
戦前に月に行くロケットを設計するくらい科学的で進歩的な考えの持ち主であるならば、2000年も前の聖母マリアの処女懐胎など真っ先に懐疑的になりそうなのに、宗教的思想のために人生を捧げることができたのはどうしてなのだろう・・。もし現代に生きていたなら、コルベ神父はどう行動したのだろう。いや、本当に魅力的で不思議な人物です。
その疑問は置いておいて、この聖コルベ館は宗教施設ではなく、民間の方がスペースを作ってミュージアムを運営されているとのこと。手書きの心のこもった展示に運営の苦労や思いが滲み出ていて心があたたまりました。
コルベ神父という日本ではマイナーな人物の記念館を運営することはとても大変なことだと思いますが、少しでも保存活動にご協力ができるよう、ささやかな寄付をして退館。
すぐ近くから長崎空港行きのバスが出ているとのことで、半日余りの長崎祈りの旅ツアーは終了しました。
念願の行きたかったところをまわり、自分なりに考えることも多く収穫のあったツアーでした。
長崎は過去に哀しい歴史があった町とは思えないほど、山とおだやかな海に囲まれた美しい町でした。
最後に、長崎のうまかもんをお裾分け。