おじさんのnoteについて
創意も工夫も凝らさないページをご覧いただき、ありがとうございます。
我(われ)が我(われ)がとなった世の中で善意を感じづらいという論調がある中、このページをご覧いただいた皆様のやさしさに感謝いたします。
noteを始めてしばらくして、皆さん自己紹介や、活動の指針など、核となる記事を冒頭に載せていることについて、遅ればせながら大切なことなんだと気付いてキーボードを叩いている次第です。
簡単な自己紹介と、なぜnoteを始めたかについて書きたいと思います。
筆者は日本のどこかの地域で社会福祉法人に勤める40代半ばのおじさんです。
子供が生まれ、成長することに喜びつつ、その対応に苦労したり悩んだりしています。
体を鍛えたり、時にマラソン大会に出たり。自分が子供のころ、このおじさんはそんなに運動しないといけないのかな、って思っていたおじさんに自分がなりました。
noteを書く理由。それは考えの記録を残したいと思ったからです。
子供が生まれて少し経った頃でしょうか。
生まれて数カ月の我が子、妻と交代しながら3時間おきのミルク。
夜中、ミルクを人肌に冷ましているとき。
寝る我が子を見て、ふと。
この子の命は目を離したら消えてしまうかもしれない。
僕はそれを預かっている。
という実感が心の真ん中にさくっと刺さりました。
そして同時に
目の前の命を生かさなければいけない。
そのために自分は生きなければいけない。
あの子も、僕も、死んじゃだめだ。
生きる、という事が強く定義された気がしました。
そんなことを思ったからでしょうか、考えることが増えました。
読書の量が増えて、ジャンルも多岐にわたるようになりました。
哲学、人文学と触れる機会が増えました。
読む中で感じたことをメモ書きすることが増えました。
noteはメモを少し蒸留した記録です。
まったくもって自分本位な動機で始めています。
スキをいただくと「ひぇー恐れ多いー」とうれしくなりますが、ネット上のつながりにそこまで詳しくないおじさんなもので、それを増やすために努力するチカラを持ち合わせてはいません。
自分のペースで細々と書く、そのようなスタンスです。
重ね重ねとなりますが、そんなやり方にもかかわらず、読んでいただける方がいたならば、その優しさに心より感謝を。
ありがとうございます。