知らないまま批判しない 引くに引けない

数年前にマラソンに出場した。
その後、もう一回出場したので人生で2回経験している。

よく言われる。
そんなに長い距離走る意味が分からない。

その気持ちはよくわかる。
僕もかつてそう思っていた一人。

でも、
僕がマラソンを走ることになるきっかけは、
「意味が分からない」、という思いだった。

身近に数名、マラソン大会に繰り返し出場している人がいる。
集まればその話題。
僕はそれを聞いていて、
なんでそんなに長い距離を走るんだろうと思っていた。

でもそんな時、
ふと、
体験したことがないのに、批判的に思考するのはよくない気がする。
そう思った。

参加が抽選になる大会に申し込む。
はずれても「走る気はあった」、と言える。
不純な動機。

結果は。

当選。

普段のくじ運はないくせに。

しょうがない、
数カ月練習をして本番にのぞむ。
何とか完走。

完走して得たものはあったか。

数時間走り続けるには正しく体を使わないといけない。
これは勉強になった。
結果として歩行がとても改善した。

あと手に入れたのは。
「マラソンを完走したことがある」と人に話す権利。

これが大きい。

経験者になって分かった。
整体に行ったりとか髪を切ったりするとき、
当たり障りのない会話に、
「マラソン」とか「走る」って単語が結構出てくる。

オリンピック、あとは箱根駅伝があるからかな。

当たり障りのない会話をちょっと盛り上げて、
当たり障りなく過ごすことが出来る。

とても便利。

おじいさんになると話が不満とか、
病気の話になりがちと聞く。
そんな時に使える話のタネ。
そう考えると、この体験はコスパがいいように思う。


他には24時間で100km歩いたってタネもある。
意味の解らなさで、よりコスパがいいタネだと思っている。


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