同志有り、遠方より来たる
40歳を過ぎて、ライフワークなどを通じて仲良くなった友達で、ずっと敬語でお互いに話している友達がいる。と言っても全く堅苦しくなく、心の底から魂の交流が出来ている。と、少なくとも私は思っている。若い頃の友達と言えば、ふざけて馬鹿騒ぎしたり、とにかく大勢で楽しければ良いという様な雰囲気があった様に思うが、私はそういう意味では友達は少なく馬鹿騒ぎもそんなに好きな方ではなかった。
しかし、今の私が敬語で話しているのは友達というよりも、同志、仲間かなと思う。一番大きな違いは心の底から相手に尊敬の念があること。ワハハと笑う様な楽しさも勿論あるが、何より同じ志を持ってくれている事自体が嬉しいので存在してくれているだけで魂が震えてくる。寂しさだけで時間を潰す相手では無い。
そんな同志が、東京と愛知から私の住む山形まで来てくれて、出羽三山の山伏体験修行に参加することになったのだ。まさに『朋(とも)有(あ)り遠方(えんぽう)より来(きた)る…』の心境だ。この言葉は、「単に友が遠くから訪ねて来てくれて嬉しいということではなく、志が高く学問が進めば進むほど(自分はまだまだだが(−_−;))、周囲には理解してくれる人は減るが、遠くには必ず同志が居るものだ。」と私は理解している。