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人の繋がり

日本農業新聞の一面に記事が掲載された千春ちゃん(詳細はnote「日本農業新聞」をご覧あれ)。一気に小諸との二拠点居住をしていることが知れ渡る…。

信州という田舎の、これまたマイナーな小諸という小さい町に、こんなに感性豊かで、クリエイティブな女性が移住してきたことは、小諸にとっても有難いこと。そして、そんな彼女と知り合うことができ、「友達第1号」と彼女から認定?してもらったのも光栄なこと。このご縁を大切にせねば!…。

…でも、これをおいら一人で抱えていても発展性もなければ、面白みもない。そう、「イケてる農家」(詳細はnote「イケてる農家」をご覧あれ)のように、いろいろな人と繋がることで化学反応が起き、おもしろい「こと」や「もの」が出来あがっていくに違いない。おいらがその橋渡しを出来れば、きっと、この小諸でもっともっと楽しいことが出来るに違いない!…ホントかいな??

…てなことで、おいら、千春ちゃんが嫌がらない範囲で、知り合いのおもしろそうなことを考えている「奴ら」を紹介していくことにした。

まずは、おいらの職場の、千春ちゃんと同世代の若者を中心に三、四十代のおもしろそうな「奴ら」と会わせることに。

声の掛け方は簡単だ。
「武藤千春って知ってる?」だ。

彼女と同世代や少し上の世代は、「学生時代に良く歌を聞いていた」という連中が多く、その少し上の年代は、新聞やラジオで「小諸に移住してきたことを知っている」という連中が多かった。

声を掛けて初めに返ってくる言葉は、「知り合いですか?」だ。

その問いに対して、おいらは必ず…「まぁね」と意味深に答えていた。その意味深さが興味をそそるに違いないと感じていたからだ。案の定、声を掛けた奴らのほとんどは食いついて来てくれた(笑)。

せっかく千春ちゃんと話が出来るのだから、双方向で意見交換ができる程度の人数がいいと10名程度に人数を絞り、「情報交換会」と題して、意見交換を行った。

集まったメンバーは、割と感が良い者が多く、何で同じ職場の自分たちに声が掛かったのか、おいらが何でこんな会を開催したのか、これからどんなことをしていこうと思っているのか、だいたい察しがついたらしく、とても建設的な意見交換が出来た。また、意見交換をすることで、いろんな気付きもあったし、いろんなアイデアも生まれた。

もともと千春ちゃんとは、やらされ感なく、行政と関わり合いを持ちながら、いろんな発信をしてもらいたいと話をしていた。彼女がありのままの自分を、「小諸」を舞台に発信することに意味があるし、飾らないライフスタイルに同年代の若い世代が興味を持ってくれると思っていた。その興味を持つ部分に「小諸」が少しでも入っていれば御の字だと思っていた。
…というのも、「小諸」は以前、国語の教科書に明治の文豪、島崎藤村の「千曲川旅情の歌」が掲載されていたお陰で、60歳以上の年配の方の認知度は抜群に良いのだ。
しかし、国語の教科書に掲載されなくなってからというもの、「小諸」の認知度はガタ落ちとなってしまう。おいらもその年代ではあるが…。

以前、たまたま小諸に仕事で訪れていた20代の女性が、島崎藤村ゆかりの地「小諸」として観光で売り出すために設置してあった看板「藤村ゆかりの地」を見て一言…「『ふじむらゆかり』さんて誰ですか?」…絶句した(笑)。

「藤村」を「とうそん」と読んでくれないのだ。この時点で若い世代に対する「島崎藤村」を売りにした観光PRは上手くいっていないことが良くわかった。

こういう若い世代に対してのプロモーションに課題があることがわかっていたから、千春ちゃんの発信が若い世代に届くことが嬉しく、有難いことだと思っていた。

それに、もともと彼女のライフスタイルに魅力があったわけだが、この若い女性がきつそうな職業とされる「農業」に興味を持ち、生活の一部に取り入れている…これだけでも正直、話題十分なのである。

その彼女が行政とも何らかの形で関わりながら「小諸」を発信していくことで、今まで情報が届かなかった世代にも「小諸」を知ってもらうことが出来るし、何かおもしろいことをやっている、いろんなことに挑戦できる田舎まち「小諸」として認知してもらうことが出来れば、若い世代に非常に知名度が低い「小諸」にとって、とても良いPRとなる・・・と、完全に行政マンの考えではあるが…そんなことを考えていた。

それからというもの、事あるごとに、こだわりを持って、面白いことに取り組んでいる友人・知人を千春ちゃんに紹介していった。

その紹介から、おもしろい活動や、夢のあるプロジェクトが始まるのはもう少し先のお話…。

つづく…

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