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芥川龍之介の『骨董羹』をどう読むか② 「誤訳」
予が知れる誤訳の最も滑稽なるはマドンナを奥さんと訳せるものなり。訳者は楽園の門を守る下僕天使にもあらざるものを。(二月一日)
この芥川の文章は大正九年に書かれた。明治三十九年夏目漱石が『坊っちゃん』で持ち出したのは、飽くまでラファエロ・サンティの聖母マリア像である。
あの岩の上に、どうです、ラフハエルのマドンナを置いちゃ。いい画が出来ますぜと野だが云うと、マドンナの話はよそうじゃないかホホホホと赤シャツが気味の悪るい笑い方をした。なに誰も居ないから大丈夫だいじょうぶですと、ちょっとおれの方を見たが、わざと顔をそむけてにやにやと笑った。おれは何だかやな心持ちがした。マドンナだろうが、小旦那だろうが、おれの関係した事でないから、勝手に立たせるがよかろうが、人に分らない事を言って分らないから聞いたって構やしませんてえような風をする。下品な仕草だ。これで当人は私わたしも江戸っ子でげすなどと云ってる。マドンナと云うのは何でも赤シャツの馴染なじみの芸者の渾名か何かに違いないと思った。なじみの芸者を無人島の松の木の下に立たして眺めていれば世話はない。それを野だが油絵にでもかいて展覧会へ出したらよかろう。
この「マドンナ」の意味が作中次第に、別嬪さんに変わる。
「まだご存知ないかなもし。ここらであなた一番の別嬪さんじゃがなもし。あまり別嬪さんじゃけれ、学校の先生方はみんなマドンナマドンナと言うといでるぞなもし。まだお聞きんのかなもし」
「うん、マドンナですか。僕あ芸者の名かと思った」
「いいえ、あなた。マドンナと云うと唐人の言葉で、別嬪さんの事じゃろうがなもし」
「そうかも知れないね。驚いた」
「大方画学の先生がお付けた名ぞなもし」
「野だがつけたんですかい」
「いいえ、あの吉川先生がお付けたのじゃがなもし」
「そのマドンナが不たしかなんですかい」
「そのマドンナさんが不たしかなマドンナさんでな、もし」
「厄介だね。渾名の付いてる女にゃ昔から碌なものは居ませんからね。そうかも知れませんよ」
「ほん当にそうじゃなもし。鬼神のお松じゃの、妲妃のお百じゃのてて怖い女が居りましたなもし」
「マドンナもその同類なんですかね」
「そのマドンナさんがなもし、あなた。そらあの、あなたをここへ世話をしておくれた古賀先生なもし――あの方の所へお嫁に行く約束が出来ていたのじゃがなもし――」
現在の我々の位置から眺めると『坊っちゃん』一作の中でマドンナの意味が聖母マリアから別嬪さんに変化したかのようだが、実際には支那経由の俗語で別嬪さんをマドンナと呼ぶならわしが既にあり、明治二十八年当時の松山には実際にマドンナとあだ名される美人がいたということになっている。
ところで、マドンナとは何物? それは或る豫審判事の娘で、夏目さんの方で思召があつたといふ專らの噂さであつた。
マドンナは今でも達者だから名前は預かつて置く。何でも「赤シヤツ」と夏目さんとで張り合つたといふ話である。ところが夏目さんの方が負けた。といつても、マドンナが「赤シヤツ」のものになつたのではない。
すると大正九年に芥川がわざわざ「誤訳の最も滑稽なるはマドンナを奥さんと訳せるものなり」と呼ぶのは何かちぐはぐな感じがする。
別嬪さん、あるいは憧れの美人、という意味でのマドンナという言葉の使用は『坊っちゃん』で定着したとも思えない。若杉鳥子が大正十五年、宮本百合美が昭和二年に、憧れの美人というようなニュアンスで使用するほかはラファエロ・サンティの聖母マリアのままだ。
このマドンナの意味が歌手マドンナによってさかしまになった今、改めて漱石の『坊っちゃん』におけるマドンナの意味が見えてくるような気がする。そもそも別嬪さんではあれど、マドンナとは「奥さん」であり、母なのだ。『坊っちゃん』執筆時、大塚楠緒子には既に娘がいたはずだ。
いや、「奥さん」いい訳じゃないか。
[余談]
夢に一匹の虎あり。塀の上を通ふを見る。
昭和二年五月五日の日記。ここまで猫の話題無し。
[余談]
マドンナの「ライクアバージン」は聖母マリアの処女懐胎とかかっていて、さらに漱石のマドンナはそんな女の信用ならなさを指摘していたとしたら、太宰治の万人と通じた女は処女だという戯言をレディ・ガガに教えたい。