この芥川の文章は大正九年に書かれた。明治三十九年夏目漱石が『坊っちゃん』で持ち出したのは、飽くまでラファエロ・サンティの聖母マリア像である。
この「マドンナ」の意味が作中次第に、別嬪さんに変わる。
現在の我々の位置から眺めると『坊っちゃん』一作の中でマドンナの意味が聖母マリアから別嬪さんに変化したかのようだが、実際には支那経由の俗語で別嬪さんをマドンナと呼ぶならわしが既にあり、明治二十八年当時の松山には実際にマドンナとあだ名される美人がいたということになっている。
すると大正九年に芥川がわざわざ「誤訳の最も滑稽なるはマドンナを奥さんと訳せるものなり」と呼ぶのは何かちぐはぐな感じがする。
別嬪さん、あるいは憧れの美人、という意味でのマドンナという言葉の使用は『坊っちゃん』で定着したとも思えない。若杉鳥子が大正十五年、宮本百合美が昭和二年に、憧れの美人というようなニュアンスで使用するほかはラファエロ・サンティの聖母マリアのままだ。
このマドンナの意味が歌手マドンナによってさかしまになった今、改めて漱石の『坊っちゃん』におけるマドンナの意味が見えてくるような気がする。そもそも別嬪さんではあれど、マドンナとは「奥さん」であり、母なのだ。『坊っちゃん』執筆時、大塚楠緒子には既に娘がいたはずだ。
いや、「奥さん」いい訳じゃないか。
[余談]
昭和二年五月五日の日記。ここまで猫の話題無し。
[余談]
マドンナの「ライクアバージン」は聖母マリアの処女懐胎とかかっていて、さらに漱石のマドンナはそんな女の信用ならなさを指摘していたとしたら、太宰治の万人と通じた女は処女だという戯言をレディ・ガガに教えたい。