「ああ、馬場に叱られた時か。あいつは弘法にも筆のあやまりさ。」能勢は、教員の名前をよびすてにする癖があった。 「あの先生には、僕も叱られた。」 「遅刻で?」 「いいえ、本を忘れて。」 「仁丹は、いやにやかましいからな。」「仁丹」と云うのは、能勢が馬場教諭につけた渾名である。
(芥川龍之介『父』) たとえばこの「馬場」が「仁丹」である理由が解らない。「森下」という人に「仁丹」と渾名をつけることも現代では流行らないであろう。こうした時代の風俗の根拠みたいなものはたちまち忘れ去られてしまう。
「泉はちゃくい ぜ、あいつは教員用のチョイスを持っているもんだから、一度も下読みなんぞした事はないんだとさ。」 「平野はもっとちゃくい ぜ。あいつは試験の時と云うと、歴史の年代をみな爪つめへ書いて行くんだって。」 「そう云えば先生だってちゃくい からな。」 「ちゃくい とも。本間なんぞは receive のiとeと、どっちが先へ来るんだか、それさえ碌ろくに知らない癖に、教師用でいい加減にごま化しごま化し、教えているじゃあないか。」 どこまでも、ちゃくい で持ちきるばかりで一つも、碌な噂は出ない。
(芥川龍之介『父』) この「チョイス」も解らない。明治の教科書 STANDARD CHOICE LEADERSのことだとは思うが、確信は持てない。また「ちゃくい 」は甲府、山梨方言で「狡い」という意味であろうが、青空文庫内でもほかに用例がなく、国立国会図書館デジタルライブラリー内でも巧く探せない。 つまりどういう角度から揶揄われているのかよく解らない。
すると、その中に能勢が、自分の隣のベンチに腰をかけて、新聞を読んでいた、職人らしい男の靴を、パッキンレイだと批評した。これは当時、マッキンレイと云う新形の靴が流行ったのに、この男の靴は、一体に光沢を失って、その上先の方がぱっくり口を開いていたからである。 「パッキンレイはよかった。」こう云って、皆一時に、失笑した。
(芥川龍之介『父』) この「マッキンレイと云う新形の靴」は調べて分かった。
跡を継いだ21歳の息子・達之助は、さらに革新的で、アメリカからマッケイ式製靴機械と技師を招き、銀座通り沿いにガラス張りの工場を建設、<丈夫で、安くて、安心の出来る機械靴。マッキンレイ靴>を大々的に売り出した。汽車に商品を陳列して地方を廻り販売する汽車博覧会を開くなど、話題づくりも派手で評判を呼ぶ。既成靴と注文靴の二面作戦も功を奏した。が、トモエヤは1907(明治40)年、日露戦争後の不況と後見人(親戚)の離反によりあっけなく倒産してしまう。
すると、その時、自分たちの一人は、時間表の前に立って、細かい数字をしらべている妙な男を発見した。その男は羊羹色の背広を着て、体操に使う球竿のような細い脚を、鼠の粗い縞のズボンに通している。縁の広い昔風の黒い中折れの下から、半白の毛がはみ出している所を見ると、もうかなりな年配らしい。その癖頸のまわりには、白と黒と格子縞の派手なハンケチをまきつけて、鞭かと思うような、寒竹の長い杖をちょいと脇の下へはさんでいる。
(芥川龍之介『父』) この「球竿」は資料が残されている。しかし解らないのは「羊羹色の背広」の時代遅れ感だ。それがベルサーチのスーツくらいの感覚なのかどうか。「鼠の粗い縞のズボン」「縁の広い昔風の黒い中折れ」も「寒竹の長い杖」も、首にハンカチを巻く習俗も解らない。
半白の白髪の量も解らない。また「かなりな年配」が何歳なのかも。
「見ろ。見ろ。あの帽子を。」 「日かげ町か。」 「日かげ町にだってあるものか。」 「じゃあ博物館だ。」 皆がまた、面白そうに笑った。
(芥川龍之介『父』) この「日かげ町」は、古着屋街のこと。昔の裏原みたいな感じか。
この現代と縁のない洋服を着た、この現代と縁のない老人は、めまぐるしく動く人間の洪水の中に、これもやはり現代を超越した、黒の中折をあみだにかぶって、紫の打紐のついた懐中時計を右の掌の上にのせながら、依然としてポンプの如く時間表の前に佇立しているのである……
(芥川龍之介『父』) この「現代を超越した、黒の中折」は明治末に『彼岸過迄』において、色変わりにとって替わられている。
では「ポンプ」は?
地下鉄だと排水用の設備としてポンプがある。このポンプが地上の停車場の設備なのか、それとも一般的な井戸のポンプなのか、はっきりしたことは解らない。
ただ「人間の洪水の中」だから「ポンプ」なのであろう。
あとで、それとなく聞くと、その頃大学の薬局に通っていた能勢の父親は、能勢が自分たちと一しょに修学旅行に行く所を、出勤の途すがら見ようと思って、自分の子には知らせずに、わざわざ停車場へ来たのだそうである。 能勢五十雄は、中学を卒業すると間もなく、肺結核に罹って、物故した。その追悼式を、中学の図書室で挙げた時、制帽をかぶった能勢の写真の前で悼辞を読んだのは、自分である。「君、父母に孝に、」――自分はその悼辞の中に、こう云う句を入れた。
(芥川龍之介『父』) この「大学の薬局に通っていた」が能勢の父親が薬剤師であることを示すのかどうか、中学を卒業したものの追悼式を中学の図書室で挙げることの是非、能勢の兄弟の数、能勢の母への孝行の具体は解らない。ただ父親を「ロンドン乞食」と言った能勢の皮肉が正しければ、現代を超越した、黒の中折は『道草』の健三の山高帽くらい古くさいものなのだろう。
いや、『寒山拾得』を読んでいて思い出したのだが漱石が『夢十夜』を書いた時、芥川龍之介はまだ中学生なのだ。『彼岸過迄』の時点で高校生だ。そう考えると松本恒三の黒の中折はなかなかのものだという理窟になる。
大体ちょっと前の流行が古くさい。百年も経つとむしろ新鮮になる。
ほんま?
できてますか?