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芥川龍之介の『河童』をどう読むか⑦ 何故バッグは漁夫なのか?

 何故芥川龍之介にはこれまで誰一人読者がいなかったのか?
 何故芥川龍之介作品を読むということはこれほど困難なのか?

 それはこれまで誰一人例外なく読まないことに徹していたからである。

 
 そんなことはない?

 では何故私が芥川龍之介は「は」と「も」の違いに拘る作家だと書き、その「も」が使われている箇所を引用しているのに、その「も」の意味を考えないのか?

 何故私が「黴毒」の文字を読み取りのできないほど塗りつぶさないところに芥川龍之介の茶目っ気が出ているのではなかろうか、と書いているのに何がどう茶目っ気なのかを考えないのか?

 それは、何故バッグは漁夫なのかと考えないことと同じ理由によるものであろう。これまですべての人は芥川龍之介作品を読むのではなく眺めて来たのだ。読むという方法を知らなかったのだ。だから意味に辿り着けない。粗筋が分からない。それで読んだと言い張る。
 みんながそうだから少しも不安にならない。
 馬鹿げた話だ。

 しかし『河童』は設定が緩い小説なので、どんなところにも過剰解釈の罠が仕掛けられていると考えてよい。まず見舞いの品が見えなかったことから、そもそも河童の国の話は分裂病患者のよくできた妄想であると断じても良い。その内側の話なのでそもそもバッグの職業など意味をなさないと考えても良い。しかしよくできた妄想にそれなりの意味があると仮定した場合には、例えば生活教の中に第二十三号の動物的エネルギイに対する渇望が現れているとも考えられるし、

 雌河童を狡猾に描く様子には、女性への恨みが現れていると見做しても良いであろう。

 その程度の意味で、やはり何故バッグは漁夫なのかと考えることもできる。考えないこともできる。『河童』は設定が緩い小説なので、考えすぎてはいけない。しかし考えてみると、あることに気が付く。

 チャックは一日に二三度は必ず僕を診察にきました。また三日に一度ぐらいは僕の最初に見かけた河童、――バッグという漁夫も尋ねてきました。河童は我々人間が河童のことを知っているよりもはるかに人間のことを知っています。それは我々人間が河童を捕獲することよりもずっと河童が人間を捕獲することが多いためでしょう。捕獲というのは当たらないまでも、我々人間は僕の前にもたびたび河童の国へ来ているのです。のみならず一生河童の国に住んでいたものも多かったのです。なぜと言ってごらんなさい。僕らはただ河童ではない、人間であるという特権のために働かずに食っていられるのです。現にバッグの話によれば、ある若い道路工夫こうふなどはやはり偶然この国へ来た後、雌めすの河童を妻にめとり、死ぬまで住んでいたということです。もっともそのまた雌の河童はこの国第一の美人だった上、夫の道路工夫をごまかすのにも妙をきわめていたということです。

(芥川龍之介『河童』)

 まずチャックは医者ではなく獣医なのではないかと思える。しかしこれは設定の緩さであろう。それからここで推測と伝聞に挟まれた「一生河童の国に住んでいたものも多かったのです」という断定が事実なのかどうかという問題、これも設定の緩さをもたらしている。河童の国における「特別保護住民」としての人間の存在は、ここにしか現れないのだ。
 しかし東十条のベンガル人がベンガル人の集まる店に集まるようには、第二十三号は他の人間と会わない。いや、実際には誰一人人間とは会っていないのだ。
 果たして本当に河童の国に第二十三号以外の人間は実在したのだろうか。

 私はこれまで『河童』の粗筋を正しく説明している文章を読んだことがない。大抵は最初の所が怪しい。
 まず第二十三号が穴に落ちるところ、ここの説明ができていない。

僕は、――僕も「しめた」と思いましたから、

(芥川龍之介『河童』)

 このわざわざ言い直した「は」と「も」に全く意味がないとは考えにくい。これは明確に「は」ではなく「も」なのだと念押しする書き方だ。つまりバッグ「も」、「しめた」と思ったわけである

 もっともまた時には雌の河童を一生懸命に追いかける雄の河童もないではありません。しかしそれもほんとうのところは追いかけずにはいられないように雌の河童が仕向けるのです。

(芥川龍之介『河童』)

 バッグは逃げたのではなく追いかけさせたのだ。そしてひときわ高い熊笹の中に穴があることを知らなかった第二十三号の体はろくに身動きもできないほど、節々が痛んでいたのに、バッグは平気だったのだ。これを素直に「捕獲」と呼んでしまうとバッグは漁夫になれる。

 河童の肉を平気で食べる河童が人間を喰わないという理窟もなかろう。

 のみならずいきなり立ち上がると、べろりと舌を出したなり、ちょうど蛙の跳ねるように飛びかかる気色さえ示しました。僕はいよいよ無気味になり、そっと椅子から立ち上がると、一足飛びに戸口へ飛び出そうとしました。ちょうどそこへ顔を出したのは幸いにも医者のチャックです。
「こら、バッグ、何をしているのだ?」

(芥川龍之介『河童』)

 獣医のチャックは本当はジビエ専門の肉屋も兼ねていたのかもしれない。チャックはこう言い残したのではなかろうか。「駄目だよ、君、それを食べちゃ。変な菌に感染している」と。

 いやしかしさすがにそれでは第二十三号の扱いが人間的、いや河童的過ぎて帳尻が会わない。と思えなくもない。思えなくもなくもない。いや、思える。ただ河童たちは、

「けれどもその肉を食うというのは、……」
「常談を言ってはいけません。あのマッグに聞かせたら、さぞ大笑いに笑うでしょう。あなたの国でも第四階級の娘たちは売笑婦になっているではありませんか? 職工の肉を食うことなどに憤慨したりするのは感傷主義ですよ。
 こういう問答を聞いていたゲエルは手近いテエブルの上にあったサンドウィッチの皿を勧めながら、恬然と僕にこう言いました。
「どうです? 一つとりませんか? これも職工の肉ですがね。」

(芥川龍之介『河童』)

 日本最初のカレーライスに使われた肉は蛙だったと言われる。河童は河童の肉を食べることに躊躇がない。昨日まで隣人、隣河童であったかもしれない者の肉を平然とサンドイッチにしてしまう。河童の国ではcorned beefならぬcorned kappa  もそして、corned humanの缶詰も普通に売られていたのではなかろうか。

蛙肉は其味が非常に佳良であるのみならず他の肉類は牛鳥肉でも魚類でも各々固有の臭氣をもつて居るが蛙の肉に限つて全く無臭で其の上白瑪瑙の如き玲瓏なる美肉は其の料理の手腕と相俟つて實に天下の珍品となるのであるが……。  


大阪と食料品 : 大阪市食料品展覧会概要 大阪市産業部 編大阪市産業部 1926年

卽ち魚に人肉を與ふれば其の肉味に特別なる香味を生ずとの理由より、往々養魚の餌に人肉を用ひ、又たヴェデアスポリラなるものは奴隷を池中に縛し、生きながら其肉を魚類に食はせたりと傳へらる。


美味求真 木下謙次郎 著啓成社 1925年

 河童の国の法律に定められた「特別保護住民」たる資格のうちに「捕獲したる人間のうち、食用に適さぬもの」という条件でもない限り、第二十三号は漁夫の獲物として食われるのが当然ではなかろうか。

 いやいや、そもそも設定の緩い幻想である。河童の国の法律条文まで突き詰めることはできない。
 ただバッグから黴毒を取り上げ精神病を与えた推敲の手順の中には、「バッグではないな……」というロジックの手前の「感覚」のようなものがあったことは想像に難くない。

 そうであれば漁夫のバッグも「しめた」と思ったところが整理できる。

 ただ推測と伝聞に挟まれた「一生河童の国に住んでいたものも多かったのです」という断定が邪魔をする。

「出て行け! この悪党めが! 貴様も莫迦な、嫉妬深い、猥褻な、ずうずうしい、うぬぼれきった、残酷な、虫のいい動物なんだろう。出ていけ! この悪党めが!」

(芥川龍之介『河童』)

 人間に向けられたこのありがちな罵倒の中にわざと言われなかった悪口があるように私には思える。それがなくては河童の国は実在できない。わざと言われなかった悪口は「嘘つき」だ。恐らく河童は嘘をついている。

「クオラックス党を支配しているものは名高い政治家のロッペです。『正直は最良の外交である』とはビスマルクの言った言葉でしょう。しかしロッペは正直を内治の上にも及ぼしているのです。……」
「けれどもロッペの演説は……」
「まあ、わたしの言うことをお聞きなさい。あの演説はもちろんことごとくです。が、嘘ということはだれでも知っていますから、畢竟正直と変わらないでしょう、それを一概に嘘と言うのはあなたがただけの偏見ですよ。我々河童はあなたがたのように、……しかしそれはどうでもよろしい。わたしの話したいのはロッペのことです。ロッペはクオラックス党を支配している、そのまたロッペを支配しているものは Pou-Fou 新聞の(この『プウ・フウ』という言葉もやはり意味のない間投詞です。もし強いて訳すれば、『ああ』とでも言うほかはありません。)社長のクイクイです。が、クイクイも彼自身の主人というわけにはゆきません。クイクイを支配しているものはあなたの前にいるゲエルです。」

(芥川龍之介『河童』)

 我々河童はあなたがたのように、と言いさした先にある言葉を探していくうちに何故バッグは漁夫なのかという解けない謎に迷い込んだ。しかしそれはどうでもよろしい。もしも第二十三号は「捕獲したる人間のうち、食用に適さぬもの」なのかと問われれば、バッグもケチャックも Pou-Fou とでも言うほかはなかろう。

「もちろん食糧にするのです。我々は、河童は腹さえ減れば、なんでも食うのにきまっていますからね。」

(芥川龍之介『河童』)

 はい。イメージ操作。


 とりあえず今日は芥川の『奉教人の死』の「や」だけでも覚えて帰ってください。

 


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