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いちごというからつい 川上未映子の『いちご畑が永遠につづいてゆくのだから』を読む②

 決定。自分でつぶす? つぶして渡す? 右手にスプーンを、左手にいちごの入った器を持ってたずねてみる。

(川上未映子「いちご畑が永遠につづいてゆくのだから」『愛の夢とか』講談社 2013年)

 まるで昭和だ。昭和のいちごは酸っぱく、ミルクや練乳と混ぜて食べた。今のいちごは甘い。

 彼はわたしをみずに、何も言わずに、器をとる。練乳もかけない。スプーンも使わない。指でつまんでつまらなそうにまるごと口に入れる。

(川上未映子「いちご畑が永遠につづいてゆくのだから」『愛の夢とか』講談社 2013年)

 柄谷行人はここでも内面が描かれていないと文句を言うだろうか。内面なんてそういつもいつもあるものだろうか。例えばうんこをしているとき。げろを吐いているとき。いかの刺身を作っているとき。……三点リーダーがいつまでもつづいているような状態で動作だけがあるかもしれない。

 彼は一人で寝室に行く。テレビは見ないのだ。テレビがついているのかいないのかもう分からない。

 それから丸一日のあいだ何も食べていないのに気がついて、だからいちごを食べようと思う。

(川上未映子「いちご畑が永遠につづいてゆくのだから」『愛の夢とか』講談社 2013年)

 昨夜は晩御飯を食べたのだ。おそらくは彼と。喧嘩は朝ごはん時だからヤクルトが投げられたのか。つまりパンケーキとソーセージは熱くて投げられないのでからしと蜂蜜が投げられたということか。

 卵は?

 卵は卑劣漢を退治するためにいつでも袂にいれておくべきものだ。

 双眼鏡と地図は未知なる大地へと冒険に出かけるため。靴下は犬のおもちゃ。

 寝室のドアをあけて中に入る。

(川上未映子「いちご畑が永遠につづいてゆくのだから」『愛の夢とか』講談社 2013年)

 ドアは閉められたとは書かれない。ここが寝室なんですと誰かに寝室を見せたことがあっただろうか?

 ここが寝室なんです。

 ここがリビングで、あちらが玄関。

 戸建てなのか。家族はどんなのか、生まれはどこなのか。何歳なのか。毎日何をして過ごしているのか。ここにどれぐらい住んでいるのか。そもそも彼は夫なのかどうか。わたしに子どもをつくる気があるのかどうか。

 読者には何も知らされていない。

 これで四十女なら厭だなと思ってみても正確には性別さえ示されていないのだ。

 しかしなぜ寝室へ?

 食べるいちごはどうした?

 食べるいちご? 食べないいちごというものがあるかぎり、頭の中でそう言ってみることはまるきりの無意味ではないような気がする。

 つばを飲みこむ。

(川上未映子「いちご畑が永遠につづいてゆくのだから」『愛の夢とか』講談社 2013年)

 吐いたつば以外は飲み込むものだ。がってん寿司の板前も郵便配達夫もそうしている。


 彼の顔が崖のようにみえる。

(川上未映子「いちご畑が永遠につづいてゆくのだから」『愛の夢とか』講談社 2013年)

 いちごは?

 布団をめくって音をたてないようにすべりこむ。

(川上未映子「いちご畑が永遠につづいてゆくのだから」『愛の夢とか』講談社 2013年)

 おそらくめくられたのは敷布団ではあるまい。

 しかし、ねえ、いちごは?

 近くでみても、彼は起きているのか眠っているのかわからない。

(川上未映子「いちご畑が永遠につづいてゆくのだから」『愛の夢とか』講談社 2013年)

 そういえば彼の朝ごはんと昼ごはんと晩御飯はどうなったのだろう。蜂蜜なしでパンケーキは食べられないだろうし、からしなしでソーセージは食べられない。

 昼は学食?

 サイゼリア? ✖サイゼリア 〇サイゼリヤ

 晩御飯はいちごだけ? 

 それとも食べるお菓子を一人で食べた?

 まぶたをみあげ、遥かにそびえる彼の崖をわたしは息を止めるようにして一歩一歩、登っていく。右手には専用をつよくにぎって、左手で産毛をつかんで、わたしはそうやって彼の崖を登っていく。

(川上未映子「いちご畑が永遠につづいてゆくのだから」『愛の夢とか』講談社 2013年)

 ここはうまいなあ。「わたしは息を止めるようにして」って二重の意味になっている。専用は「いちごをつぶす専用のスプーン」のこと。それが握られている以上いちごはつぶされなくてはならない。産毛はいちごの小さな棘。

 わたしは飛ばされないように身をかがめて、ちからをこめて、右手に持った専用を思いっきり彼の鼻に押しつける。

(川上未映子「いちご畑が永遠につづいてゆくのだから」『愛の夢とか』講談社 2013年)

 鼻で良かった。あっちに来るかと思った。

 いちごをつぶして、いちごをつぶす。どこで間違えたんだろう。それともはじまってもいなかった? それでも彼は、起きているのか眠っているのかわからない。

(川上未映子「いちご畑が永遠につづいてゆくのだから」『愛の夢とか』講談社 2013年)

 それ多分死んどるで。

[余談]

 つぶしてから食うねんな。

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