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田中優子の『カムイ伝講義』を読む③ 武士とは何か③ 武士は物貰い?
問題はそのような需要と供給から、職能と居住地が世襲となり固定されたことだろう。これは近世になると武士が同様に、職能と居住地が固定されたことに対応している。中世では武士が農村部に居住し、自律的な集団を組んでいた。しかし兵農分離によって武士は城下町で暮らすようになり、その生命維持を農民に頼らざるを得なくなる。中世の所領は単に子どもに受け継がれていたが、近世になると代替わりのたびに主君から家臣へ授けられる、というかたちをとる。それどころか知行所(土地)を一切持たず、給与だけもらう武士も大量に出現する。これが、近世日本は封建主義と言えるかどうか、という議論を呼ぶ点である。江戸時代の武士は明らかに官僚、あるいはサラリーマンなのだ。
この辺りの話は何とか分かる。武士はサラリーマン。自由業ではないので制約が多い。そのイメージそのままだ。
ところが、
実は乞胸頭・仁太夫とその組織は、武士が出自なのである。
こう言われるとさすがに驚く。
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しかしこれは「ホームレスも元はリストラされたサラリーマン」と言われているようなものか。
こうした武士の存在を前提にして三島の理屈を考え直してみると、そりゃ無理だという感じがしてくる。現実問題として天皇の赤子だとしても特攻隊にさせられるわけである。昔の武士はリストラされて物乞いになったわけである。そこの関係はあくまでクールでシビアなものだ。
自分をリストラした上司のために死ねるかと問うのは愚問だろう。
むしろ武士は貧しく、ある程度職人化、商人化しなくては生きてゆけなかつた。
まあそういうことなのだろう。これは江戸時代の話だ。
商人は非常に裕福になり、武士に代わって実際の文化創造を担うようになっていった。
幕末の武士は六~七パーセントしかいなかったそうだ。皇軍兵士は矢張り農家の次男三男、自衛隊員も漢文の素読をして木刀の素振りをして育ったわけではなく、「士」でもなかったはずだ。
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よくよく考えてみたら江戸時代に武士であること、それ自体がかなりきついことだったのではなかろうか。三百年伝統を守り、最後の一年だけ武力行使したと考えると明治維新は凄い。よくぞ剣を磨いてきたものだ。三島が自衛隊員に求めたものはその奇蹟的なものだったとして、物貰いに落ちてしまえば剣の修行も何もなかろう。
どうも武士について調べていくと、だんだんと解らないことが増えていく。
実戦経験なしでよくぞ戊辰戦争とか戦えたね?
[余談]
左の本収録の「「鎌倉武士」の成立と武士論研究の課題」で武士論研究における「武士団」の不在について、髙橋昌明氏に疑問を提出したところ、受けとめられ方に些か不満はあるが、右の本に発表されたコラムで御回答を頂いた。
— Minoru.Noguchi (@rokuhara12212) May 4, 2024
「武士団」を構成するのが「武士」に限らないことを明確に論じられています pic.twitter.com/9yfQJmhgxQ
摂関時代、宮廷サロンに集っていた才女達の周辺にも、中世武士のルーツに連なるマッチョでファッショな軍事貴族達が蠢いていたことが、ようやく語られるようになってきました。
— Minoru.Noguchi (@rokuhara12212) April 24, 2024
すでに、多くの歴史学者が指摘していたことなのですが。私も『本郷』38(2002.03)にこんなことを書いたことがありました。 pic.twitter.com/rtVSSivN8H
【6年社会「武士による政治の始まり」全5時間パワポ】使いたい方は「フォロー&リポストをした上で」「DM」をください。ダウンロード先のURLをお送りします。このポストへの返信ではなく「DM」でリクエストしてください。鍵垢の方には、お送りしません🙇 pic.twitter.com/QqKHpyKLMa
— あたたたたー (@81I6VVboj7h2Bqy) July 6, 2024
「大岡越前守」として知られる大岡忠相。
— 国立国会図書館 NDL (@NDLJP) March 9, 2023
「町奉行なのになぜ越前?」と思ったことはないでしょうか?
江戸時代、越前守といった官職名は実際の統治とは関係なく武士の通称として使われることがありました。#リサーチ・ナビ では「武士の官職名を調べる」を公開しています。https://t.co/mOlj2wPTmO pic.twitter.com/5Hvn3ARLuc
「サムライ」(侍)は、王朝の社会身分。職業身分としての武士にはその階層が多い。侍身分より上の貴族層にも武士はいた。摂関時代、紫式部をはじめとする宮廷の女房たちは、そうしたマッチョでファッショな軍事貴族がお好きだった節があるようです。
— Minoru.Noguchi (@rokuhara12212) December 19, 2022
この本の24〜26ページあたりに書きました🖋 pic.twitter.com/RJnUK3Ehnc
現在開催中の企画展「競い合う武士たち」では資料保護のため一部の資料の展示箇所を変更しています。江戸時代中期の故実家伊勢貞丈(さだたけ)がまとめた資料『犬追物図説』ではいよいよ射手の装束を描いたページを展示。月代やお歯黒のような風俗についても記載があります。https://t.co/dfOWF9RdRO pic.twitter.com/pfmI2PZQj1
— 国立公文書館 (@JPNatArchives) August 11, 2020
江戸後期、泰平の世に馴れ、鎧(よろい)の着方を知らない武士たちのために、鎧を着る手順を図解した『擐甲図歌(かんこうずか)』が刊行されました。https://t.co/UxQ1a3NhYq
— 国立公文書館 (@JPNatArchives) July 30, 2022
本資料を題材とした「クリアファイル鎧の着方」は企画展「江戸城の事件簿」のお土産にもおすすめです。https://t.co/lTrJurZumt pic.twitter.com/yrch5q6QLV