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芳川泰久の『漱石論 鏡あるいは夢の書法』をどう読むか① 君の家の風呂はそうやって沸すのか
昨日私は付け足しのように、漱石論とはどれだけボケられるかの競争だったのかなと書いた。
間違いを前提にいかにも意味がありそうなことを語ること。これはいかにもばからしいふるまいだ。
徒歩で山を登ること。これ以上古典力学的パラダイムにふさわしい仕草があるだろうか。『草枕』は、山間の温泉場を舞台とするという口実のもとに、まず高低差を生み出し、位置エネルギーというかたちでヴェクトル的モーターを確保し、そうすることで古典力学的なフィールドを差し出している。
山に登り高さを獲得することで位置エネルギーを得たというためには落下という運動を前提にせねばならないだろう。などと真面目に考える必要はないかもしれない。
しかしながら、パラダイム変換というフィールドから見るとき、温泉という場所が、登ることによって高低差として貯えたエネルギーを熱というかたちで保存する貯蔵庫にほかならないことが可視となってくる。(中略)そのような物語の風土のただなかで、高低差から温度差へのエネルギーの受け渡しが行われているという点なのだ。
そんなことが可能ならば大発見だ。しかし現実的にはありえないだろう。位置エネルギーの変換は水力発電などで実用化されているとみなせるだろうか。しかし水力発電を地熱に変換することが可能だろうか。
実はここまでが私のボケである。
芳川はこうしたことを書く人のようだ。そのことはもう分かっていた。
「則天去私」の神話を江藤淳が破壊してから、数ある漱石論の中で真にパラダイム変換の名に値するのは、柄谷行人と蓮實重彦の仕事であろう。蓮實重彦は、主題論とも呼び得る視線を維持しながら、テキストの表層にあってひたすら無視され秘匿されつづけてきた言葉どうしの密やかな照応ぶりをなぞるように際立たせて見せ、これまで漱石が読まれてきた環境を圧倒的に転倒している。
江藤淳は『こころ』における「私」の立ち位置が見えなかった評論家である。
蓮實重彦はストーリーが理解できないので言葉で戯れた評論家である。
柄谷行人は『坑夫』は回想ではないと述べるなど、殆どの漱石作品を読み間違えている評論家である。
作品そのものを読み間違えているのだから、彼らに対して何か語ろうとすればまずその点を指摘できていなければならない。
つまり?
芳川泰久もまた柄谷行人や蓮實重彦同様漱石作品を読めていない、その程度の人と見做すことができるだろう。『こころ』の先生とKの部屋は二階ではない。この場合先生とKの部屋が二階にあることに意味を見出そうとする論説は無意味だ。
前提条件が間違っていれば、いくらもっともらしく議論してもそれは誤りだ。柄谷や蓮實をあがめている限り、まともなことは何一ついえる筈がない。だから高低差から温度差へのエネルギーの受け渡しなどと言ってしまうのだ。
種明かしをしてしまえば制約をなくしてしまえばいくらでも好きなことが書ける、という当たり前のようなことを解放したのが柄谷であり蓮實なのだ。制約とは「作品を正しく読むこと」だ。
柄谷は分裂、破綻、解離などと作品のまとまりを解体し、「分からない」を勝手に作り出し、そこに作者自身の制御しきれない深層心理をねじ込んでしまう。蓮實重彦は表層に留まり、不意打ちをくらわすと宣言して、漱石の意図しない言葉の意味をこじつけて遊んだ。
これが近代文学1.0の漱石論という遊びだった。「作品を正しく読むこと」を放棄してしまえば、あとはなんとでもでたらめが書けるのである。その究極のデタラメが島田雅彦の「Kは幸徳秋水、またはキング、天皇」という奴だろう。
なんでもこじつけてしまえばいいという思い込みは蓮實重彦が与えたものだ。
与えたものだが、受け取る方がまともではない。
そんなことだからこんな人も出てくる。
物語論的な場に温度の異なる二つの熱源を布置することで、テクストそのものを熱機関に書き換えた作家。そのことこそが、西欧より遅れて短期間のうちに熱力学的なパラダイムを導入しようとした明治期の日本において、漱石にしてはじめて成し得た仕事の射程にほかならない。
ああそうですかというしかない。
ただ位置エネルギーで温泉はわかない。
[余談]
これで結構真面目なんだから驚く。
結局一番きついのがちゃんと読むということなんだなと思う。
みなそこから逃げようとしてじたばたしている。
某保守党は
— 燃えたいゴミ!! (@gamu0514) September 29, 2024
林先生を呼んで勉強会をした方がいい・・・(ーдー)#ワイドナショー#サンデージャポン pic.twitter.com/xii0LpbdZ9 https://t.co/qvmufw7MtJ
林先生が言っている。敗因は、
・情報不足
・慢心
・思い込み
Kが幸徳秋水なんてまさにそれじゃない?