芥川龍之介の『冬』をどう読むか④ 「冬と手紙と」として読むことは可能か?③ 可能と云えば可能だ
禿げる未来
もしも禿の人が「冬と手紙と」として『冬』と『手袋』を読めば、「これは禿の話だ」と気が付くのではなかろうか。
晩年の芥川は額が上がり、ほぼ禿だった。いや、まだ面長なんですよと言い張れば、みなしぶしぶ「あ、そうですか」と引き取らざるを得ないが、ふさふさのボサボサではなかったことは確かだ。
ここに現れる二人の禿げは、ボヴァリー夫人のような意味で芥川龍之介の未来を引き受けてはいないだろうか。
禿げる人はますます禿げていく未来を悲観するそうである。
禿は治らない。
禿げ切らないうちに死んでしまおうと芥川が考えなかったとは言い切れまい。
そして禿として生きる未来を夢想しないとも限るまい。
禿げる未来は迫っていた。
芥川が禿げ切って死んだのなら、今の人気があり得ただろうか?
何故M子さんの兄さんは自殺しなくてはならなかったのか?
従兄は全て冤罪だと言った。
よく読んでみよう。「M子さんの兄さんはどこかの入学試験に落第したためにお父さんのピストルで自殺しました」とM子さんの兄さんの自殺の理由は明確に「入学試験に落第したため」と書かれている。
ではそれで「新聞は皆兄さんの自殺したのもこの後妻に来た奥さんに責任のあるように書いていました」と書かれるのだろうか?
それはこの『手紙』が「静か」で終わることと関係していないだろうか。後妻に来た奥さんの声は大きく、M子さんの兄さんの受験勉強の勉強の邪魔をした?
そんなことが新聞に載る?
そもそも誰がそんなことを新聞記者に漏らすのだろう。
新聞記者?
ここで具体的にどういう状況が説明されているのかは定かではない。ただ当時の新聞記者というものがスキャンダルを追いかけ、口止め料をせびるチンピラのようなものであり、友だちは裏切るものであり、新聞などあてにならないものだというイメージ操作が行われているかのように感じられる。
後妻に来た奥さんの声は大きく、M子さんの兄さんの受験勉強の勉強の邪魔をした、と新聞記者に話したものがいたとしたら、それはM子さん以外にはなかろう。
そう考えると途端にM子さん親子の間にギスギスしたものが見えてくる。
考えないと見えてこない。
師・漱石が新聞を読めと言っているのに、芥川は新聞を信じるなと言っているように思えなくもない。
ああ、言っていることは同じか。
新聞も小説も裏を読まなくてはならない。
[余談]
薄田泣菫は芥川龍之介のことを「あくたがわたつのすけ」だと思っていた。「故人夏目漱石氏の門下に芥川龍之助たつのすけといふ男がある。」と書いている。
その読みの方が正しいような気がする。
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