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芥川龍之介の『冬』をどう読むか④ 「冬と手紙と」として読むことは可能か?③ 可能と云えば可能だ

禿げる未来

 もしも禿の人が「冬と手紙と」として『冬』と『手袋』を読めば、「これは禿の話だ」と気が付くのではなかろうか。

 従兄は切り口上にこう言ったりした。僕は従兄を見つめたまま、この言葉には何なんとも答えなかった。しかし何とも答えなかったことはそれ自身僕に息苦しさを与えない訣には行ゆかなかった。現に僕の左隣りには斑に頭の禿げた老人が一人やはり半月形の窓越しに息子らしい男にこう言っていた。
「会わずにひとりでいる時にはいろいろのことを思い出すのだが、どうも会うとなると忘れてしまってな。」

(芥川龍之介『冬』)


もう一人の狂人は赤と額の禿げ上った四十前後の男です。この男は確か左の腕に松葉の入れ墨をしているところを見ると、まだ狂人にならない前には何か意気な商売でもしていたものかも知れません。

(芥川龍之介『手紙』)

 晩年の芥川は額が上がり、ほぼ禿だった。いや、まだ面長なんですよと言い張れば、みなしぶしぶ「あ、そうですか」と引き取らざるを得ないが、ふさふさのボサボサではなかったことは確かだ。

 ここに現れる二人の禿げは、ボヴァリー夫人のような意味で芥川龍之介の未来を引き受けてはいないだろうか。

 禿げる人はますます禿げていく未来を悲観するそうである。

 禿は治らない。

 禿げ切らないうちに死んでしまおうと芥川が考えなかったとは言い切れまい。

 そして禿として生きる未来を夢想しないとも限るまい。

 禿げる未来は迫っていた。

 芥川が禿げ切って死んだのなら、今の人気があり得ただろうか?

何故M子さんの兄さんは自殺しなくてはならなかったのか?

 僕はM子さんの一家のことは何も知らないものの一人です。しかしいつか読んだ新聞記事によれば、この奥さんはM子さんやM子さんの兄さんを産んだ人ではないはずです。M子さんの兄さんはどこかの入学試験に落第したためにお父さんのピストルで自殺しました。僕の記憶を信ずるとすれば、新聞は皆兄さんの自殺したのもこの後妻に来た奥さんに責任のあるように書いていました。この奥さんの年をとっているのもあるいはそんなためではないでしょうか? 

(芥川龍之介『手紙』)

 従兄は全て冤罪だと言った。

 よく読んでみよう。「M子さんの兄さんはどこかの入学試験に落第したためにお父さんのピストルで自殺しました」とM子さんの兄さんの自殺の理由は明確に「入学試験に落第したため」と書かれている。

 ではそれで「新聞は皆兄さんの自殺したのもこの後妻に来た奥さんに責任のあるように書いていました」と書かれるのだろうか?

 それはこの『手紙』が「静か」で終わることと関係していないだろうか。後妻に来た奥さんの声は大きく、M子さんの兄さんの受験勉強の勉強の邪魔をした?

 そんなことが新聞に載る?

 そもそも誰がそんなことを新聞記者に漏らすのだろう。


新聞記者?


「何しろこの間も兄貴の友だちなどは××新聞の社会部の記者に名刺を持たせてよこすんです。その名刺には口止め料金のうち半金は自腹を切って置いたから、残金を渡してくれと書いてあるんです。それもこっちで検べて見れば、その新聞記者に話したのは兄貴の友だち自身なんですからね。勿論半金などを渡したんじゃない。ただ残金をとらせによこしているんです。そのまた新聞記者も新聞記者ですし、……」
「僕もとにかく新聞記者ですよ。耳の痛いことは御免蒙りますかね。」

(芥川龍之介『冬』)

 ここで具体的にどういう状況が説明されているのかは定かではない。ただ当時の新聞記者というものがスキャンダルを追いかけ、口止め料をせびるチンピラのようなものであり、友だちは裏切るものであり、新聞などあてにならないものだというイメージ操作が行われているかのように感じられる。

 後妻に来た奥さんの声は大きく、M子さんの兄さんの受験勉強の勉強の邪魔をした、と新聞記者に話したものがいたとしたら、それはM子さん以外にはなかろう。

 そう考えると途端にM子さん親子の間にギスギスしたものが見えてくる。

 考えないと見えてこない。

 師・漱石が新聞を読めと言っているのに、芥川は新聞を信じるなと言っているように思えなくもない。

 ああ、言っていることは同じか。

 新聞も小説も裏を読まなくてはならない。

[余談]

 薄田泣菫は芥川龍之介のことを「あくたがわたつのすけ」だと思っていた。「故人夏目漱石氏の門下に芥川龍之助たつのすけといふ男がある。」と書いている。

 その読みの方が正しいような気がする。



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