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芥川龍之介の『三右衛門の罪』をどう読むか② 何だよその書き出しは?

何だよその書き出しは

 ロベルトカルロスの伝説のフリーキックが、実は左足のアウトサイドではなく左足のインフロントキックであることをスーバースローで初めて知った時、やはりサッカー経験者なら必ず驚くに違いない。アウトサイドでシュート回転のボールを蹴ることもインフロントでカーブ回転のボールを蹴ることもそう難しくはない。しかしインフロントでシュート回転のボールを蹴るということは大抵の人にはできないだろう。スーパースローで見るまでは、あの伝説のシュートはアウトサイドシュートだと私は信じていた。

 文政四年の師走である。加賀の宰相治修の家来に知行六百石の馬廻り役を勤める細井三右衛門と云う侍は相役衣笠太兵衛の次男数馬と云う若者を打ち果した。それも果し合いをしたのではない。ある夜の戌の上刻頃、数馬は南の馬場の下に、謡の会から帰って来る三右衛門を闇打ちに打ち果そうとし、反って三右衛門に斬り伏せられたのである。 

(芥川龍之介『三右衛門の罪』)

 さて、気がついてました?

 分るよって人はいますか。

 何かおかしいですよね。

 分るよって人、挙手してください。

 そうですね。文政四年は何年ですか?

 1821年ですね。

 では前田治修(前田治脩)の生没年はどうですか?

 1745~1810年ですね。

 つまりこの話は治修の死後十一年後の話なのです。

 これ知ってたよという人、いらっしゃいますか?

  挙手してみてください?

 吉田君は?

 知ってい、た、なかった、どっちですか?

 で、その歴史離れした治修のどこが聡明なのか解りますか。

 つまり鷹狩りのエピソードの意味が理解できていますか。

 A  相本喜左衛門が雨上がりのあぜ道で足元が狂い、鷹が空中に舞い上がり丹頂鶴が逃げてしまった。
 B 柳瀬清八は一時病気になった鷹が元気になり、今では人間でも捕りそうだと大袈裟なことを言った。治修はなら人を獲らせてみよと命じた。清八は息子を鷹に捉えさせ、鷹が獲物を摑まえた時は獲物の肝をあげねばならないと息子を刺そうとした。

 喜左衛門は褒められ、柳瀬清八は射殺される。これのどこが聡明なんですかね。そもそも「今では人でも捕りそうです」「人をも把り兼ねませぬ」というのはあくまでもジョークですよね。これは嘘とまでは言えない。それに対して「清八の利口をや憎ませ給いけん、夫れは一段、さらば人を把らせて見よと御意あり」というのは酷すぎませんかね。そこを「そうか」で流せないで追い詰めて射殺ですよ。

 少し厳し過ぎませんか。器が小さいというか、暴君ですよね。

 しかしとにもかくにもこの殿様は「利口」を嫌うようです。そして頭を怪我した細井三右衛門が「かほどの傷も痛まなければ、活きているとは申されませぬ」と答えた「正直さ」が気に入って目にかけていたようです。

 正直が重要なようですよ。

 つまりこの殿様にかかれば、「文政四年の師走である」なんて嘘を書く芥川龍之介という人間は一切信用できないわけです。射殺されても文句は言えないわけです。

 そういうひねりを書いているわけです。

 この「正直」に関するロジックは見えていましたか?

 見えていないのに失敗作なんて言う人はなんて言いますか。そう知ったかぶりと云います。実力がないのに偉そうにするのは二年生ぶりっ子です。知ったかぶりの二年生ぶりっ子のまま死にますか?

 見えていなかった人、どうします?

 まだ、買わない?

 お金がない?

 




[余談]


東京市史稿 市街篇第十四

 たまたま同姓同名の人がいた。

 それだけ。

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