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乃木静子は何故殺されたのか?
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乃木夫妻殉死の日の朝のこの写真はその後芥川龍之介の小説にあるように日本中の家庭に飾られていたという。
「写真をとっても好いいじゃないか? 最後の記念と云う意味もあるし、――」
「誰のためにですか?」
「誰と云う事もないが、――我々始めN閣下の最後の顔は見たいじゃないか?」
「それは少くともN将軍は、考うべき事ではないと思うのです。僕は将軍の自殺した気もちは、幾分かわかるような気がします。しかし写真をとったのはわかりません。まさか死後その写真が、どこの店頭にも飾られる事を、――」
少将はほとんど、憤然と、青年の言葉を遮った。
「それは酷だ。閣下はそんな俗人じゃない。徹頭徹尾至誠の人だ。」
しかし青年は不相変、顔色も声も落着いていた。
「無論俗人じゃなかったでしょう。至誠の人だった事も想像出来ます。ただその至誠が僕等には、どうもはっきりのみこめないのです。僕等より後の人間には、なおさら通じるとは思われません。……」(芥川龍之介『将軍』)
この芥川の疑惑は漱石の疑惑に届いていない。こんな写真が撮られたことではなく、乃木静子が殺されたことが明らかに可笑しいのだ。
・乃木静子には軍旗を奪われた罪はない
・殉死は殿様に許されて場所と介錯人を決めて行われるものであり、女房を道連れにするルールはない
・乃木静子がどうやって死んだのか解らない
・乃木希典の遺書では乃木静子は生かされる予定だった
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そして、
この記事を「読むことのできない人たち」がいる。つまり、
この記事は読めるのに、乃木静子に関する記事は「読むことのできない人たち」がいる様子なのだ。
何故なのだろうか?
安倍元首相を殺そうとした人も、安倍昭恵までは殺さんでしょう。その理屈が明治史には通用せんのですよ。
森鴎外の殉死ものを読めば「殉死は殿様に許されて場所と介錯人を決めて行われるものであり、女房を道連れにするルールはない」という事実が執拗に確認されていることが解る。しかしそう信じたくない人が殆どなのではなかろうか。
信じたくない、としてもやはり乃木静子が殺されたことが明らかに可笑しいのだ。
黒幕は誰だとか、真犯人は誰だとか、そういう陰謀説にはしない。ただ黒幕や真犯人がいようがいまいが、『こころ』の先生が大げさに自殺し、静が残された意味は、乃木夫妻「殉死」への疑惑にある。
近代文学2.0は夏目漱石が何かを指さした時、そのことで敢えて隠されたところも見る。『坊っちゃん』の「おれ」は「おやじは頑固だけれども、そんな依怙贔負はせぬ男だ」と信じているが、鉛筆や帳面なしで商業学校を卒業することはできないだろう。そうした作法の中で夏目漱石作品は書かれている。
先生が乃木将軍の軍旗にフォーカスした時、読者は「中野の家のことは静子に任せる」と書かれた事実を観なくてはならない。
乃木将軍に感動している人は、件のアイラブユーの人々のレベルにいる。
目を覚ませ。
おそらくそういうレベルの人々を欺くために、良妻賢母の鏡として乃木静子の死は利用され続けて来た。三島由紀夫の死後、あれやこれやを片付けた平岡瑤子こそが良妻賢母ではなかろうか。
桃山の方へ人魂二つ飛び 久良伎
云ふ迄もなく大正改元、御大葬当夜、乃木将軍夫妻の殉死である。翁が、将軍夫妻殉死の報を耳にされるや、直ちに「人魂二つ」を聯想されたところに、いかにも江戸つ子詩人ならではの詩情がある。「人魂」と云ふもの、江戸浮世絵や草双紙の挿絵への教養深からざる限り、決して親近を感じるものではないからである。
桃山の方へ人魂二つ飛び
この川柳は「時代が違いますよ」という冷やかしである。庶民はこのくらい冷静にこの事件を見ていた。
【余談】
確認してみたら「青空文庫」に「乃木静子」の文字はなかった。