あかつきや蛼なきやむ屋根のうら
蛼を「こおろぎ」と訓じている人もあるがルビは「いとど」とふられている。そして巴旦杏をスモモ、蛼を「こおろぎ」と説明してしまっている人もいるが、他人に説明する前にはよく調べた方がいい。
※「蛼」 ……「あしまつい」、こおろぎ。
要するに「蛼」とは「李」とあえて書かずに「巴旦杏」と書くような細工である。
現代の主要な国語辞典では「いとど」に「蛼」の漢字をあてない。そしてほぼ「かまどうま」の意味に解する。「かまどうま」は「便所こおろぎ」「オカマコオロギ」とも呼ばれ、跳ねて人を驚かせるばかりで鳴かない。
したがってこの句で詠まれているものは「コオロギ」なのであろう。
芭蕉の句、
海士の屋は小海老にまじるいとど哉
の「いとど」に関しては「コオロギ」と解する者あり、
海士の屋は小海老にまじるいとゞ哉
張り残す窓に鳴き入るいとど哉
この広瀬惟然(ひろせいぜん)の「いとど」も鳴いているから「コオロギ」であろう。
しかあし、
幸田露伴が「カマドウマ」と解釈している。これまでのところ、ほぼ幸田露伴の解釈が正解だった。
こちらも「カマドウマ」説乍ら鳴かせているので何のことやら解らなくなっている。
この辞書も「カマドウマ」説。ウマカマドの文字有り。
一応私も「カマドウマ」説をとりたい。
一茶の「いとゞ」は「コオロギ」。
ぎぼうしの傍に経讀むいとゞかな 可南
向井去来の句も「コオロギ」。
惟然の句の「いとゞ」は「コオロギ」、程己の「いとゞ」は「カマドウマ」臭い。
丈草は「カマドウマ」。
いや、「コオロギ」だろうよ。
虫は鳴く。あちこちで鳴く。屋根でもなく。
虫は鳴く。
ただ虫が鳴いても句にはならぬ。
だから芥川の句、
あかつきや蛼なきやむ屋根のうら
これは「巴旦杏」に続いて「蛼」で仕掛けてきた句と見て良かろう。そもそも幸田露伴と室生犀星の解釈が異なるのだから、「巴旦杏」同様「蛼」にも二つの意味があることくらい芥川も知っていただろう。そこをあえて環境依存文字を使い「いとど」と訓じて鳴きやませるのだから確信犯だ。いとゞ耳かしましく靜ならぬをとて詠み給へるとぞ存じたまひき、ということか。
こういうことではなかろうか。
あかつきや蛼なきやむ屋根のうら
鳴き止むのが解るということは明けがた迄鳴いていて、寝付けなかったということである。熟睡していたら蛼がコオロギなのかカマドウマなのかが解らない。屋根のうらにコオロギが入り込むことがあるのかどうかは定かではないが、便所コオロギが屋根のうらにいても厭なものである。
それにしてももし「屋根のうら」で鳴いていたのがコオロギならば、それはかなりの無駄なことではなかろうか。求愛もなわばりの主張もできまい。ただはた迷惑なだけだ。
この句には我鬼の睡眠不足と「蛼」の徒労が詠まれているといって良かろう。
屋根裏にあいなだのみの蛼かな
[追記]
こういう記録が確認できた。睡眠不足は確かなようである。
【余談】
コオロギが鳴き止んだと詠んではつまらん、カマドウマが鳴き止んだと詠むのも馬鹿げている。いや、鳴いているのはもしやカマドウマかと拵えるのがひねくれものの我鬼には相応しいか。