本来余談に書くようなことを書いてみよう。というのもどうも読者というものには酷く偏りがあって三島由紀夫の読者は太宰治を読まないし、太宰治の読者は三島由紀夫を読まないというくだらない傾向がある。三島由紀夫は太宰を読んでいたし、太宰も漱石を読んでいる。
芥川に対して坂口安吾が「教養がない」などと書いていることを知ると、芥川の読者は安吾に対して心を閉ざし、たちまち拒絶しかねないようなところがなかろうか。
しかし芥川龍之介と坂口安吾は奇妙な因縁で結ばれている。芥川龍之介の甥の葛巻義敏が安吾と同級だったからだ。
へえそんなこともあるのかという程度の話だ。
こうなると、よくそんなことがあるものだと思う。牧野信一って……。
ガス管をくわえて死にかけていたというのもすごいが、安吾が最初に読まされたのはまさに遺稿そのもので『歯車』などその題のなかったものかと思うと感慨深い。
これがこの話の落ちだ。お気づきの通り安吾はもっと面白くできる話を質素に仕上げている。
確認してもらいたい。事程左様に牧野信一にも芥川龍之介にもさしたる関心はないのだ。全くないのではなく、「ふーん」なのだ。
当たり前だが全然ファンではない。
だからこのくらい淡々と語ることができる。芥川龍之介がガス管をくわえて死にかけていても、そんなことはどうでもいいのだ。
むしろおかしい。
芥川ファンが発狂しそうな話だが読んでも損はないだろう。