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芥川龍之介の『東北・北海道・新潟』をどう読むか

 昭和二年五月、改造社により企画された講演旅行で、芥川龍之介は日本を北上する。何故北上なのか、何故南進しないのかは分からない。この時期芥川は確かにクルシイクルシイ状態であったのだろう。この講演で太宰治は初めて芥川龍之介の実物に接する。

 札幌━━クリストは上に、大学生は下に、……「すすき野」と云ふ遊郭はどこですか?
 
 又━━あの植物園全体へどろりとマヨネエズをかけてしまへ。(傍白━━「里見君、野菜だけはうまいでせう。」)

 又━━孔雀は丁度キヤンデイイの様に藍色の銀紙につつまれてゐる。

 又━━有島武郎はポケツトの中にいつも北海道の地図を持つてゐる。 

(芥川龍之介『東北・北海道・新潟』)

 これが昭和二年の事なので、流石にここで芥川龍之介は少しおかしくなっているのではないかと思う人もいないとも限らないので断っておくと、芥川龍之介の口語文は自然にすらすらと書かれている訳ではない。自然にすらすら書くと文語文で、こちらは読む方も書く方も口語文より何割か速い。従ってこれも工夫された「文芸」とみなくてはならない。
 おそらくマヨネーズを小説に登場させたのはトルストイの『戦争と平和』が早いが、日本では芥川が最初ではなかろうか。
 小説?
 長さは問わないとしたら、これは他に何とも区分けできない文章。つまり小説であろう。事実の記録ではない。
 リチャード・ブローティガンは長年「マヨネーズ」で終わる小説を書きたいと願っていて『アメリカの鱒釣り』でついにその念願を果たした。おめでとうリチャード。
 そしておめでとう龍之介、恐らく君は日本で最初に小説に「マヨネーズ」を登場させた男だ。

 小樽━━起重機は海を吊り上げようとしてゐる。定めしホツキ貝の多い海を。

 青森━━公会堂は海と話してゐる。白じらと壁を聳ば立ててゐるものの、内心は海を恐れながら。

 又━━もう十分早かつたら、林檎の花の咲いた中にほのぼのと鮭を食つてゐたものを。

(芥川龍之介『東北・北海道・新潟』)

 まだ納得しない? これが小説だって。「林檎の花の咲いた中にほのぼのと鮭を食つてゐた」ら俳句にはならない。俳味がないからだ。それにしても旬ではない。

 家々の屋根や松の梢に西日の残つてゐる夕がただつた。僕はキヤンデイイ・ストアアの前に偶然O君と顔を合せた。O君は久しぶりに和服に着換へ、松葉杖をついて来たのだつた。
「けふは松葉杖だね。」
 O君は白い歯を見せて笑つた。
「ああ、けふはオオル(櫂)にしたよ。」

(芥川龍之介『O君の新秋』)

 これが大正十五年十月の作。そしてこ大正十年の『支那游記』の、この感じと、『O君の新秋』の意匠はそれとなく近接している。

十九 奉天
 丁度日の暮れの停車場に日本人が四五十人歩いてゐるのを見た時、僕はもう少しで黄禍論に賛成してしまふ所だつた。

二十 満州鉄道
 高粱の根を匍ふ一匹の百足。

(芥川龍之介『支那游記』)

 イロニーとポエジー、「満州鉄道」は殆ど三好達治の「ヨット」ではないか。大長編を書くエネルギイは失いつつも、最後まで皮肉は捨てず、詩的感興に拘ったのがわかる。

 上野━━黄金虫より多いタクシイはいつか僕を現実主義者にしてゐる。

(芥川龍之介『東北・北海道・新潟』)

 この細工が解るだろうか。

 村上春樹の『1Q84』では塾の代講を頼んで旅行に出かけた川奈天吾はなんとお土産を買わない。しかし芥川龍之介はタクシーの群れを眺める前に子供たちへのお土産を抱えていただろう。タクシーの群れが芥川を現実主義者に引き戻したのではない。これはアナルのリストを分析するアナリスト、語ると死んでしまうカタルシスのようなものなのだ。タクシイを見ると税金のことを思い出すという人がいた。死に場所を二年間も捜していた男が現実主義者でないわけはない。東北・北海道・新潟に出かけてお土産を買わないお父さんはいない。

 そんなことが解らないものは吉田精一だけなのか?

[余談]

 大正八年五月三十日の『餓鬼窟日録』に「猫を貰ふ」とある。別稿にもある。その日の夕方には谷崎が小林勢以子連れて訪ねてきている。猫は谷崎から?

http://www.rekishi.info/library/yagiri/index.html



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