芥川龍之介の『邪宗門』をどう読むか① お前は村上春樹か
村上春樹作品の多くが「100パーセントの女の子に出会うこと」というシンプルなモチーフの変奏曲であり、いくつかの長編が短篇小説の焼き直しであることは良く知られてゐよう。
しかし私は芥川龍之介の『偸盗』を読むまで、それが『羅生門』の焼き直しのような作品であることに気が付かなかった。それもそうだ。読む前に解るわけがない。『羅生門』から何かが盗まれたから『偸盗』という題なのだと気が付くのは『偸盗』を読み終えた後だ。
同様に『邪宗門』を読むまでは、それが『地獄変』の続きのような作品であることが解らなかった。
たった一度の不思議な出来事……。それでは良秀の件は何だったのかというと、あれはきっと不思議な出来事ではなく、不快な出来事だったのだろう。それにしてもたった一度の不思議な出来事とは如何にも自分でハードルを上げ過ぎではないのか。その辺りも村上春樹に似ていなくもない。『騎士団長殺し』の発売前にも、「とても不思議な話」だと言っていたような。
それに「思いもよらない急な御病気で、大殿様が御薨去になった時の事」として『騎士団長殺し』みたいに枠を作っている。枠というより、結末を言ってしまっている点ではまさに『騎士団長殺し』と同じだ。それで長編小説にしようとしているわけだ。でも結局最後は「大殿様が御薨去」なんだろうと敢て思わせながら、それでも「不思議な出来事」として描いて見せますよというのだからなかなかの自信だ。
なるほどこれは不思議だ。
しかし「お化け」を出して良いものか。「お化け」を出して不思議でいいのか。
そんなことをしていると未完になるぞ。
なんだ。夢か。たいがいにせんといかんで。
自分で最初に「不思議な出来事」と書いてしまい、さらに枠を設定してしまう。「お化け」を出して「夢落ち」。これは普通の作家がやってはいけないことの連続だ。
そういうことを敢て芥川はやってみたのだろう。それもこれも『偸盗』がややちゅうとう半端、いや中途半端になってしまったからであろうか。何か自分を追い込むような形で『邪宗門』は書きはじめられている。
この続きがどうなるのか、まだ誰も知らない。何故ならまだ読んでいないからだ。
[余談]
『邪宗門』→「じゃ、わし言うもん」の洒落かな?
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