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芥川龍之介の『蛙』をどう読むか これはオキナワアオガエルではないのか?

 自分の今寝ころんでゐる側に、古い池があつて、そこに蛙が沢山ゐる。
 池のまはりには、一面に芦や蒲が茂つてゐる。その芦や蒲の向うには、背いの高い白楊の並木が、品よく風に戦いでゐる。その又向うには、静な夏の空があつて、そこには何時も細かい、硝子のかけのやうな雲が光つてゐる。さうしてそれらが皆、実際よりも遙かに美しく、池の水に映つてゐる。
 蛙はその池の中で、永い一日を飽きず、ころろ、かららと鳴きくらしてゐる。ちよいと聞くと、それが唯ころろかららとしか聞えない。が、実は盛に議論を闘はしてゐるのである。蛙が口をきくのは、何もイソツプの時代ばかりと限つてゐる訳ではない。

(芥川龍之介『蛙』)

 大正六年、まだまだ元気な時代の芥川作品に触れていると、何だかとても心が安らぐ。その『河童』ほど深刻さのない強い蛙性原理に支配された蛙中心主義にも棘を感じない。蛇も蛙の為に存在するのだという皮肉で落ちているこの短い寓話の中には、何も引っかかるところがない。

 ただ「ころろからら」を除いては。
 昔から『万葉集』には日本的美学の要素があり、鹿や蛙は姿を見るものではなく声を聴くものだとされてきた。その蛙はカジカガエルである。その聲はかように美しい。

https://www.hitohaku.jp/material/l-material/frog/zukan/wav/KA113.WAV

 ところでこの「ころろからら」は何ガエルなのだろうか。
 殿様ガエルに似ていなくもないが少し違う。

https://www.hitohaku.jp/material/l-material/frog/zukan/wav/KA104.WAV

 日本アマガエルではない。

https://www.hitohaku.jp/material/l-material/frog/zukan/wav/KA111.WAV

 一番近いのはオキナワアオガエルなのではなかろうか。

https://www.hitohaku.jp/material/l-material/frog/zukan/wav/KA130.WAV


 つまりこの作者は沖縄に住んでいたのではなかろうか?

 まさかね。

 もしかしたら昔のトノサマガエルはオキナワアオガエルのように鳴いたか、あるいはオキナワアオガエルが田端にもいたのかもしれない。黒い眼の蛇はシマヘビだろうか。怖いので調べるのは止めておく。


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