芥川龍之介の『蛙』をどう読むか これはオキナワアオガエルではないのか?
大正六年、まだまだ元気な時代の芥川作品に触れていると、何だかとても心が安らぐ。その『河童』ほど深刻さのない強い蛙性原理に支配された蛙中心主義にも棘を感じない。蛇も蛙の為に存在するのだという皮肉で落ちているこの短い寓話の中には、何も引っかかるところがない。
ただ「ころろ、からら」を除いては。
昔から『万葉集』には日本的美学の要素があり、鹿や蛙は姿を見るものではなく声を聴くものだとされてきた。その蛙はカジカガエルである。その聲はかように美しい。
https://www.hitohaku.jp/material/l-material/frog/zukan/wav/KA113.WAV
ところでこの「ころろ、からら」は何ガエルなのだろうか。
殿様ガエルに似ていなくもないが少し違う。
https://www.hitohaku.jp/material/l-material/frog/zukan/wav/KA104.WAV
日本アマガエルではない。
https://www.hitohaku.jp/material/l-material/frog/zukan/wav/KA111.WAV
一番近いのはオキナワアオガエルなのではなかろうか。
https://www.hitohaku.jp/material/l-material/frog/zukan/wav/KA130.WAV
つまりこの作者は沖縄に住んでいたのではなかろうか?
まさかね。
もしかしたら昔のトノサマガエルはオキナワアオガエルのように鳴いたか、あるいはオキナワアオガエルが田端にもいたのかもしれない。黒い眼の蛇はシマヘビだろうか。怖いので調べるのは止めておく。