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鮑の顔シンドロームと近代文学2.0
これまでに二回以上私の記事を読んだ人の中には、近代文学2.0と私が呼んでいるものが近代文学1.0の完全否定であり、一種異様でなかなか受け入れがたいものであることを理解している人が少なくない筈だ。しかしそうした人のほぼ全員がこれまでの自分の常識を守るために、「見なかったこと」にしているように私には受け止められる。
その様なふるまいについて何か適当な言葉がないかと考えていて思いついた。
それを「犬のうんこ見ないふり症候群」と名付けてしまうとまるでこちらが悪いような話になってしまうので正確さに欠く。何しろ私が書いていることは殆ど「正しく読んだ結果」なのだから。
万世一系の血脈を呪い、天孫を人の子の命と再定義している谷崎潤一郎も、
実朝を面白がる太宰治も、
失われたものを回顧の形式で書く保吉ものも、
けして言いがかりではない。しかしなかなか受け止められないことも解る。
みな本当は知りたくなかったのではなかろうか。鮑に顏があることなど。そして出来れば忘れたい。そんな人たちが殆どなのだろう。
しかし明言した通り、誰を地獄に落とそうと私は書き続ける。
この程度にごく当たり前の読解力を示すだけなのだが。