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川上未映子の『ウィステリアと三人の女たち』はどこがこわいか? ③少しは運動でもしたらどうなんだ

 どういうわけか「わたし」の家事は昭和だ。夫は外資系製薬会社の営業なので、まもなくアホみたいに儲かるかもしれないのに、鍋の底をスチールのたわしで磨く。そんな鍋をいまだに使い続けている主婦がいるだろうか。そもそもスチールのたわしを持っているだろうか。今時の鍋はごしごし洗いしなくても汚れが取れるようにテフロン加工されているものが多い。「わたし」は雑巾で床を拭く。フローリングをクイックルワイパーでスィーとやらない。ルンバにお任せしない。

 夫も昭和だ。今時休日に接待ゴルフに行くという。あるいはこれが令和の嘘なのか。そこはあからさまに疑われもしないし、感想すらない。「わたし」夫に関心がないのだ。

「さっきから呼んでいるのに」
「聞こえなかった」わたしは言った。ほんとに聞こえなかったのだ。
「なんか笑っているみたいだったけど」と夫は言った。「何が面白いの」
夫は私を一瞥した。
「毎日頭がおかしくなるくらい働いて、土日まで接待だからね」
「さっき、呼んだのはなんだったの」とわたしは訊いた。
夫はそれには答えなかった。

(川上未映子『ウィステリアと三人の女たち』新潮社 2018年)

 もしもこれが川上未映子のミスでないとすれば、この夫婦は二人とも頭がおかしい。会話が噛み合っていないどころの話ではない。「なんか笑っているみたいだったけど」と夫が言うのだから「わたし」は笑っていたのだろう。しかしその前に笑っている様子は描かれていない。「わたし」は半分壊された家を暗闇の中に見ていただけだ。何一つ笑う要素がない。しかし実際笑っていたのだとしたら「わたし」は既に頭がおかしい。

 そして夫も真面ではない。「わたし」を一瞥した後、「わたし」について何か言うのではなく「毎日頭がおかしくなるくらい働いて、土日まで接待だからね」というのだが、その「だからね」はどこに繋がるのか?

 まるで笑っていたのは自分みたいに自分の問いに答えていないか?

 そもそも一瞥とはどういうことだ。

いち‐べつ【一瞥】
流し目に見ること。ちらと見ること。「―を投げる」

広辞苑

 いや、意味は知っている。しかしその瞬間まで夫は何を見て何に話しかけていたのか? そして「わたし」を一瞥した後に、どこを見ていたのだ? そして何故「さっき、呼んだのはなんだったの」と訊かれて答えない?「いやなんでもない」でも「笑っているから気になって」でもなんでもいいじゃないか。毎日頭がおかしくなるくらい働いて、というくらいだから頭はもうおかしくなっているのだ。

 こんなアタオカな夫婦がお菓子のマチオカよりこわい。

土曜日の早朝、ゴルフセットを車に積んだ夫が出ていくと、わたしはいつものように家事を済ませ、夜になるのを待った。

(川上未映子『ウィステリアと三人の女たち』新潮社 2018年)

 こんな専業主婦はこわい。

 何か色々趣味でもやればいいじゃないかと思う。散歩でも、何でもいいから外出して、人付き合いが苦手なら犬でもネコでも飼えばいいじゃないかと。最悪ドラクエウォークでもいい。こつこつ「こころ」を集め、ゴッドハンドを目指せばいい。そのくらいしないと壊れてしまうよと「わたし」には誰も言ってくれない。

 もし友人がいなければ、そんなことを言ってやれるのは夫だけだ。しかしセックスを除けば、二人は九年間お互いに干渉しない生活を続けてきて、この夫婦生活において「わたし」には子供をつくる以外の目的も目標もなかったように思える。たとえば「わたし」に上期の目標管理シートを提出しなさいと指示したとして、そこには書かれるべきなにものも見つからないだろう。Objectivesが見当たらないのだ。KPI、Key Performance Indicatorの設定も困難だろう。「わたし」のプロポーザルは全否定されて、子作りというObjectivesは消えてしまった。仮に「わたし」のプロポーザルが成功して、運よく猿のような赤ん坊が生まれてきたとしたら、学資保険の積立や私立受験、実家との関係の再構築など次々に達成すべきObjectivesは自然発生していた筈だ。しかし「わたし」にはObjectivesを共有してくれる夫はいなかった。

 こんな乾いた夫婦関係がこわい。

わたしはソファのうえでさらに夜が深くなってゆくのを待った。

(川上未映子『ウィステリアと三人の女たち』新潮社 2018年)

 少しは運動したらどうなんだ。スクワットだけでもいい。スワイショウだけでもいい。

 ただ腕をぶらんぶらんと腰を回すだけだ。

 そんな一日ソファに座っていたら、ソファのクッションが駄目になる。

 一日ソファに座っている「わたし」がこわいので今日はここまで。


[余談]

 なるほど。

 赤以外の色が青だけではないとしたら赤以外の色という言葉が意味を持った瞬間には色体系の存在が暗に認められていることになるのではなかろうか。しかしアンミカに言わせれば白は200色あんねんということになるので、色体系というようなものが存在し得るかどうかは甚だ怪しい。


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