この話の味噌は言わずもがな「霧不断の香を焚き」には「甍破れては霧不断の香を焼き」とし、「枢落ちては月常住」に対して「扉落ちては月常住の灯をかゝぐ」とする異本があり、それぞれが教科書に載り、それぞれが繰り返し試験で問われており、現実そのものがパラレルワールドとなっている点を突いていることにある。
また、作者はインスピレイションで書き、註釈者はその「ない」典拠が解らないと嘆き、現代の国語教師は「出所も意味も解らないものとされて居る」と解釈を放り出す。
いや、註釈なしでも意味は解るだろうと思うが、註釈者が「ない」典拠に拘ったがために作者のインスピレイションが無意味にされてしまうというところが芥川好みのイロニーとなっている。
また『平家物語』の作者は不明である。「一人の無名作家」とは加賀か能登の同人誌に小説を書く青年でもあり、『平家物語』の作者でもある。名無しの彼も才を抱いて、埋れてしまった一人である。「才を抱いて、埋れてゆく人は、外にも沢山ある事と思ひます」という芥川龍之介の予想は『平家物語』が既に証明している
なおこの箇所には「霧を香の烟に見たてた意」「月が永久の燈となつた慘たる光景をいふ意」(ほかに明かりがない意)と昔から差しさわりのない自然な註がついていて、いたずらに解釈を拒んではいない。解釈を拒ませるのはあほな汚染データであるとも芥川龍之介は書きたかったのであろうか。
[余談]
芥川がパラレルワールドについてどのように考えていたのかは定かではない。ただ、
こう語る芥川は、フランスの革命家ルイ・オーギュスト・ブランキの『天体による永遠』の無限大の宇宙のなかで無限に反復せざるを得ない六十いくつかの元素の結合が、無限に存在する地球を存在させるほかなく、その中にはマレンゴオの戦に大敗を蒙っているナポレオンも存在するのではないか、という議論の是非を捨て、夢破れた革命家の慰めをみる。
無限の反復を永劫回帰と結びつけようとしない。
宇宙の無限大を信じない程度に理智的であるのか、宇宙の無限大を意識に上らせない程度の現実主義者であるのか。