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川上未映子の『夏物語』をどう読むか⑥ 世界で一番安全な場所

そんなことを思いながら、なぜこんなにいつまでも終わらないのだろうと、寝ぼけ頭でも驚いてしまうくらい長い放尿が終わるのを待ちながら、わたしはパンツの股の部分についた血をぼんやり眺めた。

(川上未映子『夏物語』文藝春秋 2019年)

 これまでいろんな本を読んできたつもりだが、こうして一文の中に小便と生理とがあけすけに書かれたものを見た記憶はない。そういうものがこれまで書かれなかった筈もないのだが、私がたまたまそういうものを目にしなかっただけなのか。あるいは「筈」というのは案外あてにならなくて、鼻くそを食べるとか、肛門にフリスクを入れるだとか、脱毛クリームであそこをつるつるにするといった記述はまだ商業出版される小説には書かれていないのかもしれない。そして川上未映子のこの小便と生理に関する一文が世界で初めてのものなら、おめでとう。

 とりあえず私には勘弁してくれという生理の話が続く。正直耐えられない。しかしそうしたものを平然と何事もないように押し隠して普通に生活している女性という存在の裏には、それなりの煩わしさがあるものだと教えてくれようとしているのだろう。

 緑子の日記もそこにフォーカスしてくる。

 これはすごくこわいこと、おそろしいことで、生まれるまえからわたしのなかにも、人を生むもとがあるということ。大量にあったということ。生まれるまえから生むをもってる。ほんで、これは本のなかに書いてあるだけのことではなくて、このわたしの、このお腹のなかにじっさいほんまに、いま、起こってることであること。生まれるまえの生まれるもんが、生まれるまえのなかにあって、かきむしりたい、むさくさにぶち破りたい気持ちになる。なんやねんなこれは。

(川上未映子『夏物語』文藝春秋 2019年)

 精子を日々作り出す精巣に比べて、卵子の元を予め備えている卵巣の方が神秘的と云えば神秘的、恐ろしいと言えば恐ろしいものなのだろうか、などと吞気なことを言っていられないのが生物上の性別と云うものだ。不完全な生殖機能を持つ個体は例外として、殆どの男女にはあらかじめ選択肢のない生殖器が備え付けられている。どちらがどうという問題ではない。例えば下半身の問題に関してはニーチェが「人間が自分自身を神だと思わずにいられるのは下半身のおかげだ」とか何とか書いていたような気がする。おそらくどちらも厄介なものだが、別のものの厄介さというのは想像に過ぎない。

 私は精子が泳ぐということを知って実に気持ち悪く感じた。そいつ脳みたいな組織を持っているのか、意志はあるのか、感覚器官は? と調べてみたが当時は詳しいことは解らなかった。いや、私のことはどうでもいいのだが、緑子の日記も女性性の問題から生命の連鎖の方へ向けられているようで、単に直感的でも観念的でもなく、自分の肉体の深部を覗き込む探求になっているという点を指摘したいのだ。変成男子は観念。「生まれるまえから生むをもってる」が独特な物事の捉え方で、記憶の箱や愛外在実体不変説のようなコツでありながら、より生々しくリアルである点は注目すべきだろう。これが川上未映子のやり方なのだ。

 緑子と夏子は遊園地に行き、緑子は次々に乗り物をクリアしていく。最後に夏子と観覧車に乗る。どうやら観覧車が「世界で一番安全な場所」らしい。

でも、どんなに強い風が吹いても、どんなにひどい雨が降っても、大きい地震がきても、びくともせんねんて。

(川上未映子『夏物語』文藝春秋 2019年)

 やすやすと胎内回帰願望を振り回す男どもに対して、川上未映子は観覧車が「世界で一番安全な場所」だと言ってみる。散々下半身にフォーカスしておいて打っちゃりをかます。「世界で一番安全な場所」ってこの話の流れやと絶対お母さんのお腹のなかと思うやん。それを観覧車ってどないやねん。

 ひっかけやでこれ。

 川上未映子は油断がならない。


[余談]

 観覧と卵管はかかってる?




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