何故島田雅彦は文学界から追放されないのか?①
島田雅彦の『深読み日本文学』を図書館から借りてきた。読めば読むほどいらいらする。何故このような本が出版されていて、彼は永久追放されないのか。
例えば、
これは中学生の下校途中の会話であれば許される。これは馬鹿話だ。そう前提を置いても読みは深化しない。
つまり、やはり『痴人の愛』が英語学習法の話であることが理解できていないことになる。それで深読みとはよく言ったものだ。
これでどうして人に物を教えられるというのか?
また漱石に関して、例によって自我とか知識人とかフロイトなどと言い出す。フロイトを持ち出すのはリビドーを発見してからにしてほしいというのが私の持論だ。
そもそも『こころ』の話者の立ち位置が見えていないことは当たり前でも何でもない。
創造的誤読などない。稚拙な読み誤りだ。
このことを恥ずかしいと思う人間は私一人なのだろうか?