癆咳の頬美しや冬帽子
癆咳の病とは、今日の言葉で云へば、肺結核の事であります。
この句の由来を尋ねれば誰しもがこの『飯田蛇笏』に辿り着くシステムになっている。こういう場合の芥川には要注意だ。
え? 火鉢?
火桶だ。
歳時記を見たのなら「火桶」と「火鉢」を間違うはずもない。
火桶と火鉢は別物だ。
別物だ。
1936年つまり昭和十一年になってようやく「火桶」に改められている。
パクる奴もいる。
まあそれはそれとして、歳時記を見たというのは嘘であろう。歳時記は季語季題ごとの区分で掲載されており、火鉢に「親展の状燃え上る火鉢哉」という漱石の句を見たはずだが、そのようにして漱石を無視するのが何とも言えずひねくれている。
そしてそもそも「当時の僕は十七字などを並べたことのない人間だった」というのは、嘘である。小説家は嘘をつくのが仕事なのだ。
仮に私が小学校の国語の教師で「落葉焚いて葉守の神を見し夜かな」の句を見れば、すわ神童かパクリかと、彼を呼び出して詰問したことだろう。とてもではないが尋常四年の十七字ではない。そして芥川自身にもその自負はあろう。
柏木に葉守の神はまさずとも人ならすべき宿の梢か
芥川は尋常四年で『源氏物語』か『大和物語』を諳んじていたのか。その連想は柏木、落ち葉の宮にも及んだかと思えば、教師は彼を呼び出すのではなく、今彼のいる場所に駈けたのではあるまいか。
落葉焚いて葉守の神を見し夜かな
これは根無し草には詠めないいかにも雅な、写実的ではない句である。もしも正岡子規なら、下らぬと一蹴したかもしれないが、何しろ尋常四年の句とは到底信じられない。
ところでさて、
死病得て爪美しき火桶かな
癆咳の頬美しや冬帽子
この二つの句は結核患者の白さが、いや白からほのかに赤らむ血潮の色の赤が美しいと詠まれている句であろう。
ところが意外や、
※悒色……うれえるけはい。悲しげな様子。
※佳什……優れた詩歌。
飯田蛇笏はどういうわけか「赤」という色を見ていないようでさえある。「赤」は「明るい」から「赤」である。そもそも蛇笏自身の「死病得て爪美しき火桶かな」はいわば芥川が大好きな逆説である。死病にかかったので醜くなるのではないところ、「美しさ」を捉えたところがこの句の肝であろう。
ここでもやはり蛇笏は「赤」を見ていない。寧ろ青白さを見ている。しかしそもそも爪の白さが際立つのは火鉢に翳した時ではなかろう。洗い物でもすればさらに白くなるだろう。頬は木枯らしに曝されては一層白く透き通るかもしれないが、咳をしてこそ癆咳だと解るのであり、咳をすれば少しは血の気がさして、だからこそ美しいのではないか……いや、ますます白いのか。
その頬は美しいのか?
この紅白問題は火桶火鉢問題同様まだ解決しそうもない。
後回しにして先にいこう。とにかく時間がない。
【余談】
このブルジョア→自我→自殺論は誰が言い始めたのだろう?
これも『明暗』の格闘を見ていないな。