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寝崩れて上ぬるむかはたつのすけ 芥川龍之介の俳句をどう読むか38
更くる夜を上ぬるみけり泥鰌汁
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薄田泣菫の詩に「うはぬるみ」という言葉が現れるが、「上ぬるみ」という言葉そのものは他に見ない。そして「日の光蟬の小河にうはぬるみ」の「うはぬるみ」は小河が少し温められている様子で、「上ぬるみ」は熱々の泥鰌汁がやや冷めた状態で方向性が真逆であろう。
ネットでは、
夏の夜や崩れて明けし冷やし物
という芭蕉の句が基になっているという話があるけれど、これも方向性が真逆であるし、誰の解釈なのか典拠が示されていないのでそこは穿鑿しない。
更くる夜を落葉音せずなりにけり 子規
更くる夜ををかしや星のさゝめ言
吉原の太鼓聞えて更くる夜をひとり俳句を分類すわれは
更くる夜を戀なる雛もありぬべし 極堂
更くる夜をいとまたまはぬ君わびず隅にしのびて皷緒しめぬ 与謝野晶子
いかにせんはなひひもとけ更くる夜を衣かへして人も寢るかに 早川漫々
泥鰌汁の季節は夏、
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泥鰌汁若い者より健くなりて
……と、ほとんど川柳のような芭蕉の句がある。こちらは本当の泥鰌汁であろうが、芥川の方はどうだろう。
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この句に関して「友人らと泥鰌汁をつついていて夜が更けた」として「友人たち」を仮想する鑑賞がたまたまなのかそうでないのか(源があるのか)判然としないもいくつか見られる。
それは勿論ひとりで泥鰌汁を食べたとは思わないが、ならば、
しぐるゝや堀江の茶屋に客ひとり
こそ誰かをかばっていないだろうか。どうも泥鰌鍋は開いて骨を取り卵でとじるので「上ぬるみけり」には合わない。泥鰌汁は開かず丸で煮られるようだ。ここで本当に泥鰌汁を食べていたら子規の薬食いならぬ景気附けのような料理なのではないか。
骨のなき泥鰌を誰の藥喰 子規
そんなものを夜が更けるまで友人らとぐずぐず突く夏の夜があるだろうか。それこそ突くものが違うのではなかろうか。
下島医師はここを掘らないが、これほど性欲を感じる句はなかろうと私は思う。
しぐるゝや堀江の茶屋に客ひとり
……が友人をかばっているとしたら、
田舎びとは夜のあることを知らず。知れるは唯闇ばかりなるべし。夜はともし火にも照らされたるものを。この田舎の闇けうとかりければ、
こんな言葉が添えられた句であるが、
更くる夜を上ぬるみけり泥鰌汁
……は何かを誤魔化している。
随分精がついたと思うが、どうなんだ、たつのすけ。田舎にも闇ばかりがあるわけではなかろう。
更くる夜を百千足るかな泥鰌汁
じゃないのか?
【余談】
こほろぎの泥鰌を好みて舐り食ふこと驚くべくして、泥鰌汁を鬻げる家にはこほろぎ甚しく群れ集ふものなり
こほろぎは一晩で泥鰌を骨だけ残して綺麗に食い尽くすという話を聞いた幸田露伴は、こほろぎの古名がきりぎりすなので、
きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣かたしき ひとりかも寝む
……という歌を思い出すよりは、「ああ、床下のこほろぎよ、泥鰌恋しさに鳴くのか」と思うようになったとのことである。
天井裏の「いとど」はどうだろう?
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理想なの?
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どろどぜう?
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案じるよりも泥鰌汁
今でいうと、
案じるよりもSoup Stock Tokyo?
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ササガセ牛蒡?
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鰻に似て非な泥鰌もまた多く漁獲され、八名川町あたりで、それの料理法を創意した爲め、泥鰌鍋に『やながは』の名稱が起つたのだらうと想像するものもあるが、それは除りの穿ち過ぎで、實は淺草田圃の元祖柳川が創始したものだといふ
古老の話によると、幕末のころ、日本橋通一丁目辺あたりに「柳川屋」という店があり、ここでかつて見たこともない「どじょうなべ」なるものを食わした。幸いそれが当たって、江戸中の評判となり、いつとはなしに、どじょうなべのことを柳川というようになった。これが柳川の名称の起こりだという。そんなところから、通人は柳川で一杯などとシャレるに至ったものらしいということだ。
また、柳川は九州柳川の換字ではないだろうか――というのもある。柳川は日本一の優良すっぽんの出るところ。一望千里の田野を縫う賽さいの目のような月水濠は、すっぽんとともに優良などじょうを産する。ほかでは見られないまでに、持ち味すばらしく、かつ大量に産し、現に大阪市場にまで持ち込まれている。
芭蕉が食べたのはあくまでも泥鰌汁なんだな。