蕪村ではなく虚子の意匠ではないか 芥川龍之介の俳句をどう読むか⑦
木がらしや東京の日のありどころ
今日現在多くの人のこの句に関する鑑賞は、佐藤惣之助ほかの指摘する蕪村の句の換骨奪胎の妙として語られている。
そしてこの句は、
木がらしや目刺にのこる海のいろ
という芥川の代表的な句ともに紹介されることが多い。
木枯にひろげて白し小風呂敷
という句は無視される。
件のXの指摘は有象無象によってあたかも自分自身が今発見したかのように繰り返されているが、案外高浜虚子の句、
曇る空に日のありどころ芹田かな
との意匠の重なりはあまり言われていないのではないか。
漱石の「そ」の字も現れないこの『わが俳諧修業』において、先生の敬称が添えられている人物は高浜虚子ただ一人である。
どうもCSVデータが配布されている正岡子規に比べて、現在ひ孫たちが伝統俳句の世界を牛耳る高浜虚子の句は、どういうわけか網羅性を以て公開されていないようで、インターネットでは「曇る空に日のありどころ芹田かな」と「木がらしや東京の日のありどころ」の関係性が議論された形式もなく、むしろ「曇る空に日のありどころ芹田かな」の鑑賞や紹介記事が見つけられない。
しかしいかがであろうか。「空のありどころ」より「日のありどころ」の方が近い……というかそのままなので、蕪村の「空のありどころ」はもうゴミ箱に捨ててしまっても良いのではなかろうか。
そもそも蕪村の句の「ありどころ」は『宇治拾遺物語』や『曽我物語』で使われているような「居場所」と言う意味ではない。
こちらが「ありか」の意味の「ありどころ」であろう。
こちらも「ありか」だ。
いかのぼりきのふの空のありどころ
いかのぼりの存在する空間あるいは存在というものを意味しており、一方高浜虚子の、
曇る空に日のありどころ芹田かな
この「ありどころ」は場所を示している。
木がらしや東京の日のありどころ
この「ありどころ」も木枯らしが吹きすさぶ東京という空間のことではなく、それでもわずかに日のさす建物の影にならない開けた場所のことではなかろうか。
日の傾きの早くなった季節、今の東京では空き地や駐車場の脇にわずかに陽だまりが出来る。この意匠はまさに「曇る空に日のありどころ」という高浜虚子の句とほとんどそのままと言って良いのではなかろうか。
しかしながらもう一つ念のため見ておきたい句がある。
意匠ではなく語彙・形式の近接として見ればむしろ、射道の、
木枯らしやいづれが月のありどころ
が最も芥川の句に近い。
ちなみにここで表記されている出典の(新選)とは、佐々政一がこの書を編んだ際に既存の有名句集より拾ったものではなく、大正五年以前の近い時期に現れた句を新たに選んだという意味だとしたら、芥川がこの句を参考にしたとは考えにくく、むしろ語彙・形式の近接の度合いが甚だしいので、この句を知りながら、
木がらしや東京の日のありどころ
と自ら読むことはなかったのではないか。
射道の俳号に関しては詳らかにしない。
尾をかくすにはよき庵の薄かな
件の『俳句大観』には射道の破調のもう一句が採られている。網羅性をもって集められたものか、こちらは良い句とは思えない。こやつ本当は影(シャドー)で誰かが化けたのかと余計なことも考えさせる。
いや余計であった。
結論。
①曇る空に日のありどころ芹田かなと言う高浜虚子の句との意匠の重なりを見るべき
②他人の尻馬に乗りながら自分の手柄に見せかけるのは恥ずかしいことだ
③いかのぼりきのふの空のありどころという蕪村の句と芥川の木がらしや東京の日のありどころの「ありどころ」は微妙に意味が違う
④木枯らしやいづれが月のありどころという射道の句は似てい過ぎて邪魔。
【余談】
ふるかふらぬかの話をすれば、阪本四方太あたりが
木がらしや鳥取の日のありどころ
と、投句してきたら子規は採ったのではなかろうか。
勿論この句は「東京」と言う文字に味わいがあるのは間違いないのだが、岩谷山梔子がたまたま、
木がらしや青森の日のありどころ
と詠んでいたらこれはこれで成立してしまいそうなのである。
つまりそれだけのフォーマットを持った句、譲らない句だという意味で、なかなか味わいがある。
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