日ざかりや青杉こぞる山の峡
芥川は山峡が好きだ。
山がひの杉冴え返る谺かな
そして山峡と杉の取り合わせも重なった。季節は真逆だ。この句はイタリア人にも理解できたのだろうか。
ところで「青杉」とはなんぞや?
桃青門弟杉風(さんぷう)を合わせたか。土田耕平の歌集か
一般的な辞書には「青杉」の項目はなく、ネット検索すると株式会社青杉設計ばかりが出てくる。
まあ、ばかりということもないが、どうもほぼ固有名詞で、あまり使われる言葉ではない。
意味は「青々とした杉」なのだろうくらいに考えて、「青々とした杉」で検索すると大杉玉が出てくる。
なるほどこれは青々としている。しかし生えている杉の木はそんなに青々とはしていない。そういうイメージはない。
そう思ってみて気がついた。なかなかないことだが「山の峡」と云っているのだから芥川は杉の木を上から見下ろしていて、だから杉の木が青々と茂っているように見えて青杉なのかと。
下から見上げると青杉にはならない。
そしてまた、よくよく考えたら植物は殆ど素早くは移動しないので、
こぞるという動作をするわけではない。そういう状態であるように見えるというだけだ。
つまり言い方を変えれば青杉は皆山の峡に集まっているので、山頂には青杉はないということになる。それがこぞるということだ。諸人こぞりて主はきませりのこぞるだ。
それで我鬼は「ずいぶんこぞっているな」と詠んだわけだ。
この「青杉」と「こぞる」の意味、イタリアの人には通じているのかしら?
日ざかりや青杉こぞる山の峡
この句は
日ざかりや青杉はゆる山の峡
日ざかりや杉青々と山の峡
日ざかりや杉さしつどふ山の峡
日ざかりや青杉いむる山の峡
日ざかりや青杉すだく山の峡
この程度に解釈しておこう。
凩に岩吹き尖る杉間哉 芭蕉
夏山や杉に夕日の一里塚 芭蕉
日ざかりに泡のわきたつ小溝哉 子規
日さかりに泡のわき立田面哉
日さかりに兵卒出たり仲の町
日さかりや蜑か門への大碇
日さかりやうつとりとなる池の鯉
日盛りの八百八町焔立つ
日盛りや砂に短き松の影
立ち位置とカメラアングル、で言えばなかなかの秀句かな。
【余談】
昔の全集にないものも少し整理してまとめられてはいるようだが、まだ漏れているのは何故だろう。
誰か完璧に整理する者はいないのか。
いないか。