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芥川龍之介 大正六年八月二十九日 俳句 十句 白牡丹
論して白牡丹を以て貢せよ
あの牡丹の紋つけたのが柏莚ぢや
牡丹切つて阿嬌の罪をゆるされし
✖
魚の目を箸でつつくや冴え返る
後でや高尾太夫も冴え返る
二階より簪落として冴え返る
✖
春寒やお関所破り女なる
新道は石ころばかり春寒き
✖
人相書きに曰蝙蝠の入墨あり
✖
銀漢の瀬音聞ゆる夜もあらむ
[大正六年八月二十九日 恒藤恭宛]
※ネットでは、
論して白牡丹を以て貢せよ
この句が、
論して曰く牡丹を以て貢せよ
とされているものが確認できるが、昭和四十六年筑摩書房『芥川龍之介全集』では「白」である。
しら【白】
①(→)「しろ」に同じ。他の語に冠して用いる。 ㋐白色。「―玉」「―菊」 ㋑手を加えないで生地きじのままであること。「―木」「―鞘」 ㋒しらばくれること。
②つくりかざらないこと。あけすけなこと。傾城買二筋道「―でいふほうがいい」 ③正直なこと。まじめ。色道大鏡「―…正直の心也」
いわく【曰く】イハク (イフのク語法)
①言うこと。言うことには。竹取物語「かぐや姫、翁に―」
②わけ。子細しさい。事情。浄瑠璃、心中天の網島「―を御存じない故」。「―ありげな顔つき」
つまり「白」と「曰」では全く意味が異なる。
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この句をそのままグーグル検索すると「検索条件と十分に一致する結果が見つかりません。」と表示されることから、この句はほぼ全宇宙に無視されているものと考えられる。
いずれ詳しく見ていく機会もあろうが、まずは資料的に少しだけ整理しておく。
久々の恒藤宛の俳句でまた破調が甚だしい。吉田精一は、
柏莚 五代目市川団十郎(1741~1806)の俳号。
阿嬌 美人。
冴え返る 余寒きびしきさま。
高尾太夫 吉原の京町一丁目三浦屋抱えの遊女。名妓のシムボル。
銀漢 銀河のこと。
……と注を付けている。しかし「冴え返る 余寒きびしきさま。」では説明になってないだろう。寒いうんぬんを詠んでいるわけではないのだ。少しは句の中身を考えて注をつけてはどうなのだ。
また、
栢莚<はくえん>
二代目團十郎がその子に三代目を譲り海老蔵となってからの俳名。
とあり、二代目市川団十郎の俳名の誤りではないか。
https://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_999431_po_130.pdf?contentNo=1
若い劇作家連も、道庵の髪の毛をつまんだ手つきを見て、仕方がなしに苦笑いを致しました。
「この通りの頭でございますから、新しいことはあんまり存じませんが、一の谷の芝居はいろいろのを見ましたよ、おめえ方は知りなさるめえ、大柏莚(だいはくえん)を見なすったか」
「いいえ」
「今時は、熊谷といえば、陣屋に限ったようなものだが、組討ちから引込みがいいものさ。わしゃ、渋団のやるのを見ましたがね、こう敦盛の首を左の脇にかいこんで、右の手で権太栗毛の手綱を引張ってからに、泣落し六法というやつで、泣いては勇み、勇んでは泣きながら、花道を引込むところが得もいわれなかったものさ。今時、ああいうのを見たいたって見られないねえ」
「渋団は好かったそうですね」
「好かったにもなんにも。総じて今の役者は熊谷をやっても、神経質に出来上ってしまって、いけねえのさ」
この『大菩薩峠』は幕末の話なので、二代目では少し遠いようだが、五代目でもあるまい。
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柏莚(はくえん)が老の楽に「くづ砂糖水草清し江戸だより」というような句があったと記憶している。作者の名を忘れたが、これも江戸座の句に「隅田川はる/″\来ぬれ瓜の皮」というのがあった。
(「阿」は親しみを表わす語。「嬌」は漢の武帝の蕭皇后の幼名。武帝がやはり幼いころ、「阿嬌」を嫁にできたら、金の家をつくってあげると言ったという「漢武故事」中の話から、転じて) 美しい女。美人。美形。
高尾太夫に関しても「後ろ手」になるところの説明がない。六代目かと思えるがよく分からない。関所破りで考えると三代目かなとも思えるところ。
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或人のはなしにこの文士は、東京にて昔より俚俗何々新道又は何々横町など稱へ来りし地名あることを知らず。新道の上に固有名詞をつける時、例へば狩野じん道稲荷じん道など發音する習慣あることをも知らず。じん道は人道の當字なり。しん道とじん道とは同義にあらざるが如きことを其作品中に延べ居れりと云ふ。この人帝國大學の卒業生の由。當世文士の無智を窺知るべき好例となすべし。
むしろこんなことがわからなくなっているのではなかろうか。
二階より簪落としても、
歌舞伎なのか落語なのか判断が付かない。
春寒やお関所破り女なる
この句は「関所破りは磔になる」ので寒いのだ。
なお、
銀漢の瀬音聞ゆる夜もあらむ
の句に関しては同日付佐野慶造、佐野花子宛の文に「即興」として添えられていることから、この句のみが八月二十九日の句と考えられる。