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谷崎潤一郎の『卍』をどう読むか⑩ ドイツ法というのがどうも気になる

なにしとんねん

「なあ姉ちゃん、あて姉ちゃんにそんなことしてもらおとは思てエへんけど、こんなりにしといたら時々痛み出してたまらんし、恐い病気になったりすることもあるいわれたのんで、姉ちゃんが責任負ういうてくれたら手術してもらえるのんやけど、……」「責任負ういうたかって、どないしたらええのん?」と聞いてみましたら、病院い行て、院長さんの前で誰ぞ第三者に立ち会うてもろて約束するか、そうでないのんなら後日のためにちょっと一と筆書いて欲しいいうのんですが、そんなことうっかり出来しませんし、それに光子さんのいうことが何処までほんまか、よんべ出血したいう病人が別に窶れたふうものうて出歩いてるのんもおかしいし、さっきの電話は病院で医局の人にかけてもろたいうのんですけど、そんな人が中川の奥様の名ア騙かたるはずもなし、何ぞまた訳でもあるような気イしてめったなこといわれへん思てるうちに、「ああ痛いた、……また痛いとなって来た」いうてお腹なかさすり出しなさったのんです。

(谷崎潤一郎『卍』)

 これでは坂本選手も興ざめだ。堕胎とエロスは両立しない。ついさっき「膿盆の中に落ちた血だらけのガアゼを見ただけでも、肉体的に忽ち不快になつてしまふ。」

 ……について書いたばかりだ。これは萎える。そして「ちょっと一と筆書いて欲しい」などとあらぬ角度から責任を押し付けようとする徳光光子の図々しさがまた不快だ。三島由紀夫も谷崎潤一郎も血みどろに興奮するタイプなのだろう。では堕胎はどうなのだ。堕胎はさすがに無理ではないか。ここは読者に負荷を与えているところなのだろう。ほな、もうちょっと讀んで見よか。

「どないしなはってん?」いうてるうちに見る見る顔が青なって来て、「姉ちゃん、姉ちゃん、早はよ便所い連れてエな」いいなさるのんで、どないな事になるのやらこっちも慌てて、畳の上這い廻るようにしてはるのん抱き起すと、はあはあいいながら肩に凭りかかって歩きやはるのんがやっとですねん。私は便所の外に立って、「どうだんねん、どうだんねん」いうてましたが、呻りごえが段々しんどそうになって、「うーん、くるしいッ、姉ちゃん! 姉ちゃん!」いいますよって、夢中で中い駈け込んで、「しッかりしなはれ! しッかりしなはれ!」と、肩撫でたげて、「なんぞ下り物でもしたんかいな」いうと、黙って首振って、「あて、もう死ぬ、死ぬ、……助けてほしい」と、ほんまに消えてしまいそうな虫の息で、「姉ちゃあん、……」と一と声大きく呼びながら、両手で私の手頸にしがみ着きますねん。

(谷崎潤一郎『卍』)

 この便器は和式だろうか?

 こんにちは。便器株主です。近代文学2.0をやっています。

 結局「よんべ出血したいう病人が別に窶れたふうものうて出歩いてるのんもおかしいし」と疑われた徳光光子の体には何か深刻な事態が起きているらしい。しかし何でも便所で解決するものではない。もう、便所に子供でも産み落とすかと思えばそうもならない。

 ……孰方道そんなりにしとかれしませんので、女子衆に手ッ伝とてもろて二階の寝室に運びましてん。なんせ、咄嗟の場合ですよって布団敷いてる間アもあれしませんし、寝室い入れるのんはどや知らん思たんですけど、下はみんな見透される夏座敷ですし、しよことなしにそないしたのんですが、ようよう寝台い臥さしてしもてから、直きに夫とお梅どんとこい電話かけに行ことしますと、「姉ちゃん何処も行ったらいかん」いうて、袂をぎゅッと握ったままちょっとの間も放しなされしません。尤もそないしてるうちに幾分か落ち着いて来たらしゅう、もうさっきのように苦しがらんようになりはったのんで、まあこの分ならお医者はん呼ばいでもよかった思うと、その時だけはほんまにほっとして助かったような気イしましてん。

(谷崎潤一郎『卍』)

 えらい迷惑な話やな。当たりやみたいなもんや。もっと質が悪いか。こんなもの全部、全部とは言わんが半分は相手の男の責任だ。柿内園子には徳光光子を妊娠させられる種がない。

 まあ『今昔物語』なら蕪を食べても妊娠するかもしれないが、普通はしかるべき手順を踏まないと妊娠しないものだ。これが『あばばばば』の読者には理解できないらしいけど。

「ああ、ああ、こんな苦しい目エに遇うのんもみんな姉ちゃんの罰やなあ。……これで死んだら姉ちゃんかってもう堪忍してくれるか知らん」と、独りごとのようにいうてさめざめ涙流すのんです。そいからまたしても痛いとなり出して、今度は前よりもっと苦しそうにのた打ち廻って、何や血の塊みたいなもんが出たらしいいうたりするのんですが、何遍も何遍も「出た、出た」いうたんびに調べてみたかて、ちょっともそないな気エあれしません。「神経でそんな気イするねんわ、なんにも出てへんやないかいな。」「出てくれへなんだらあてもう死ぬわ。姉ちゃんはあてが死んだらええ思てんねんやろなあ。」「なんでそんなこというのん?」「そうかて、あてにこんな地獄みたいな苦しみさしとかんと、早はよ楽にしてくれたらええのに、――姉ちゃんやったらお医者はんよりよう知ってるくせに、……」そないいい出したいうのんは、いつや私が「ほんちょっとした器具さいあったら何でもない」いうたことあったよってですけど、もう私にはさっきの「出る出る」いう騒ぎの時分から、今日のことがみんな狂言やいうことが分ってましたのんで、……ほんまいうたら、実はその前からだんだん気イ付いて来てながら、知って欺されてたのんで、光子さんかて私が欺されてる振りしてるのん見抜いてながら、何処までもずうずうしゅう芝居してはりましてん。そんで、そいから先はお互が自分で自分欺き合うて、……もうそんなこと、先生はよう分ってはりますやろけど、結局私は、見す見す光子さんの仕掛けた罠い自分を落し込んでしまいましてん。

(谷崎潤一郎『卍』)

 騙されていた。こっちはもう今にも赤ん坊が出て來るのかと冷や冷やしていた。何や狂言かいな。確かにそうや。狂言や。対話中心に進んで行く嘘芝居。二重の意味で狂言や。先生はよう分ってはりますやろけど、こっちは言われるまで冷や冷やしていた。なのに。

……「姉ちゃん、そんならもうこないだのことちょっとも怒ってへんわなあ、きっと堪忍してくれるわなあ?」「今度こそ欺したらあてあんたを殺してやるわ。」「あてかてさっきみたいな薄情なことしられたんやったら、生かしとけへん。」――ほん一時間ぐらいのあいだにすっくり元の馴れ馴れしさに戻ってしまいましたのんですが、そうなると私は、急に夫の帰って来るのが恐うなって来ましてん。一旦ああいう訳になったのんが、よりが戻ってみましたら、その恋しさは前より増して、もうちょっとの間も離れとないのんに、さしあたり、これから先、どないしたら毎日会えるねんやろか。「ああ、ああ、どないしょう。光ちゃん明日も来てくれるわなあ?」「此処の家い来てもええの?」「ええか、わるいか、もうそんなことあてに分らん。」「そんなら一緒に大阪い行けへん? 明日姉ちゃんのええ頃に電話かけるわ。」「あての方からも電話かけるわ。」そないいうてる間に直きに夕方になってしもたのんで、「今日はもう帰るわなあ、ハズさんが戻って来やはるさかい、……」と、身支度しょうとしなさるのんを、「もうちょっと、もうちょっと」いうて何遍も引き留めましてんけど、「まあ、やんちゃッ児やなあ、そんな分らんこというたらいかん、明日きっと知らしたげるさかい大人なしいして待ってなはれや」と、今ではあべこべに私の方がたしなめられて、五時頃に帰って行きゃはりましてん。

(谷崎潤一郎『卍』)

 なんやそれ。あほくさ。もう、屁こいて寝るわ、と言いたくなる展開。なんでこれでちゃらにできるねん、こりゃ両方が相当のあほやなと感心してしまう。大体病院からの電話はなんやったんや。それにしてもこれでいけると突進した徳光光子は相当のもんやね。それに乗っかる柿内園子も相当やけど。こら旦那もかなわんわ。えらい迷惑やで。

「うちほんまに難儀したわ。あんた何でもっと早はよ帰って来てくれへなんだん?」「僕かてそう思てたんやけど、生憎と用が片附かなんだのんで、……一体どないしたいうのんや?」「何でも彼でも直き病院まで来てくれいうねんけど、そんなことしてええか悪いか分れへんし、とにかく明日まで待っとくなはれいうたんやけど、……」「そんで光子さん行いにやはったんか。」「明日是非一緒に行ってくれいうて帰りはりましてん。」「お前があんな本貸すよって悪いのやないかいな。」「誰にも見せへんいやはったよってに貸したげたんやけど、ほんまにうち、えらい事してしもたわ。まあ何にしても明日見舞いに行てこう、中川の奥様から満更知らん仲と違うし、……」私はそないいうて、何は放ほっといても早速明日の口実を拵えましてん。

(谷崎潤一郎『卍』)

 あれ?
 変だな。
 旦那はドイツ法を学んだ秀才で、今は弁護士だったはずだ。それが「お前があんな本貸すよって悪いのやないかいな」などと云うかね? 柿内園子に何の責任があるというのだろう。それにそもそも谷崎は、何故夫に法律を学ばせ、弁護士に仕立て上げたのだろうか。「お前があんな本貸すよって悪いのやないかいな」と弁護士が言えば、そこにはそれなりの責任が生じるというものだ。それは例えば会社法の専門家を名乗る者が、会社法に関して文章を公にする際に生じる責任と同じだ。
 私がその場にいたら「よく調べましたか?」と言うだろう。どういう根拠があって「お前があんな本貸すよって悪いのやないかいな」と言えるのか、ちょっと考えてみると、ドイツ法というのがどうも気になる。

 ドイツではナチス政権下で人工中絶を制限する目的で刑法にちょっと変わった条項が設けられていて、今年の六月に撤廃されている。
 つまり、リンクを張ってもそのまま見られないので、
 ええと、英訳のアーカイブを日本語訳しようか。

 この

 Section 219a
Advertising services for abortion

(1) Whosoever publicly, in a meeting or through dissemination of written materials (section 11(3)), for material gain or in a grossly inappropriate manner, offers, announces or commends

  1. his own services for performing terminations of pregnancy or for supporting them, or the services of another; or

  2. means, objects or procedures capable of terminating a pregnancy with reference to this capacity,or makes declarations of such a nature shall be liable to imprisonment not exceeding two years or a fine.

(2) Subsection (1) No 1 above shall not apply when physicians or statutorily recognised counselling agencies provide information about which physicians, hospitals or institutions are prepared to perform a termination of pregnancy under the conditions of section 218a(1) to (3).

(3) Subsection (1) No 2 above shall not apply if the offence was committed with respect to physicians or persons who are authorised to trade in the means or objects mentioned in subsection (1) No 2 or through a publication in professional medical or pharmaceutical journals.

 この部分、ね。

第219a条
人工妊娠中絶のためのサービスの宣伝

(1) 公然と、集会で、または書面の普及を通じて(第11条(3))、物質的利益を得るために、または著しく不適切な方法で、以下を提供、発表または賞賛する者は、誰であってもよい。

1.妊娠の終結を行うため、もしくはそれを支援するための自らのサービス、または他者のサービス。

  1. この能力に関して妊娠を終了させることができる手段、物若しくは手順、又はそのような性質の宣言をすることは、2年以下の懲役又は罰金に処する。

(2) 上記(1)号は、医師又は法令上認められたカウンセリング機関が、どの医師、病院又は機関が第218a条(1)から(3)の条件の下で妊娠の終了を行う準備があるかについての情報を提供する場合には、適用されないものとする。

(3) 上記第(1)号2は、犯罪が、医師又は第(1)号2に掲げる手段若しくは物を取引する権限を有する者について行われた場合又は専門の医学若しくは薬学雑誌における出版物を通じて行われた場合には、適用されない。

www.DeepL.com/Translator(無料版)で翻訳しました。

 流石に『卍』執筆当時のアーカイブはないので飽くまで参考程度の話に留まる。とはいえ柿内園子の旦那は単なる馬鹿なのではなく、医師でもないものが専門の出版物ではないいかがわしい本を通じて堕胎に関する情報提供を行うことは、独逸刑法上では問題になり得ると考えても可笑しくない根拠が確かにあることはあるようなのだ。世界各国の法律や昔の判例までは調べないけれど、少なくとも旦那にドイツ法を学ばせ弁護士にしたことにも意味があるということにはなろうか。
 流石谷崎。ちゃんと考えているな。
 ちゃんと考えたり、ちょっとだけ調べてみるって大切なことだよね。
 リンク先も見ないような人には谷崎は読めないよ。


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