真夜中に神木折れて織る錦 夏目漱石の俳句をどう読むか138
真夜中に蹄の音や神の梅
やはり神様は馬に乗るらしい。
この神の梅にどのくらいの意味があるのかその塩梅が測りかねるところ。
上下のさはらぬやうに神の梅
鶯も水あびてこよ神の梅
少なくとも芭蕉七部集の「神の梅」は神社の中にある神聖な梅の木という程度の意味に解釈できる。
いや、そうなると馬に乗っているのは必ずしも神様でなくともよいし、句のかたちとして
真夜中に蹄の音や神の梅
として「や」で切れているわけだから「真夜中に蹄の音がする」と「神社の梅」分けてみると、「蹄の音」は幻聴のような感じがしてくる。要するにここには「姿は見えないのに不思議だな」が省かれているのではないか。
つまり「真夜中に蹄の音がする。姿は見えないのに不思議だな。神社に梅が咲いている」というなんじゃこりゃな感じの句ではないのか。
まあ真夜中に神社にいること自体なんじゃこりゃなのだが。
春の宵神木折れて静かなり
おまじない好きな漱石ならずとも不吉に感じる筈の「神木折れて」を「静かなり」で受けて、「ずっこけ」を狙っているのか、なおも神妙なのか掴みかねる句だ。
どっちだ?
五分ほど考えてみたが何とも判断ができない。
どちらともどちらでないとも決めかねる。
まあ両方でもいいか。
白桃や瑪瑙の梭で織る錦
一見して白桃と錦の関係性がわからない。
単に並列なのか、比喩なのか。
並列ではないかな。
しかし比喩としてはおさまりが悪い。
単なる取り合わせか。
白桃の花なのか実なのかもわからないぞ。
大体春の句が詠まれている並びだからこれは花の方か。
白桃の花が咲いている瑪瑙の梭で織った錦のようだ。
と、花だとまあ落ち着くか
瑪瑙の梭というのがいささか古代めいてそこが神仙という狙いであろう。漱石らしい。ロマンチックな句だ。
[余談]
ええと、
梅の寺麓の人語聞こゆなり
かな?