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ウジェーヌ・ドラクロワ / メトロポリタン美術館
芥川龍之介は『荘子』と『韓非子』を取り違えていた。
どうもわざと取り違えていたのではないかと考えていたが、これは単純ミスであった。
寿陵余子は寿陵に余子あり歩を邯鄲に学ぶ未邯鄲の歩成らざるに寿陵の歩を忘る即ち蛇行匍匐して帰るとか何とか云ふ文章が韓非子にあるから拵へた号です
余子は唯青年と云ふ意味でせう
僕自身西洋を学んで成らずその内に東洋を忘れてゐる所が邯鄲寿陵両所の歩き方を学び損なつた青年に似てゐると思つたからです。
ここに作為はなかろう。
こう書かれている以上この取り違えは敢えてではなくイージーミスと捉えて良かろう。
まさに念には念をいれましょうというところだ。芥川の場合漢籍でも何でもその場に本を開かず記憶で引っ張ってくる癖があるようで、こういう過ちが起るようだ。
この場合は完全に滝田樗陰が悪い。徳富蘇峰を尊敬していたそうだが、徳富蘇峰ならすぐに間違いを指摘しただろう。
誰か教えてあげないと。
この人を覚えてますか? pic.twitter.com/VUQ3MbQbZk
— 昭和の乙女だったかも知れない (@syouwa_otome) November 9, 2023