皮骨連立
もう一度『芭蕉雑記』を読み返していたら、
この「皮骨連立」に吉田精一が註をつけていないことに気が付いた。仏教関係の本以外ではほとんど見ない言葉だ。
この解説も芥川の引用部分に対する解説である。芥川はこの典拠を明らかにしていないので、つい芭蕉の日記のように思い込んでしまいかねないが、その典拠である『花屋日記』は肥後八代の僧文曉が、文化七年に上梓したもので、芭蕉歿後百十餘年を經て世に公にされたものだとされている。
吉田精一はこの典拠は「芭蕉翁反古文」および「花屋日記」であり、いずれも後年の創作であるとしている。
なるほど坊主が書いたかと納得する所である。偽書をネタに芭蕉を論じ、『枯野抄』を書いたとは何か騙されたような感じがなくもないが、その点では『糸女覚え書』も似たようなものだ。
菜飯たたかす?
いったんそう気が付くと、句の方は本物なのかと疑いたくもなる。「菜飯たたかす」というのが解らなかったが、これはくじで当番を決めて菜飯を炊かせて夜伽をしたよと解すれば腑に落ちる。「菜飯たたかす」だとやはり解らない。
まあ「菜飯たかする」でもいいだろう。
やはり『花屋日記』が「たゝかす」なのだ。
やはり「たかする」じゃないかなあ。
正岡子規は「たゝかす」で写している。いったいどういう意味に解していたのであろうか。これは漱石の評に関わらず拙なところではなかろうか。
これも「たゝかす」だ。
意味が通じないな。
普通に考えるとこういうことなんだと思う。1914年は大正三年。芥川が寒川鼠骨の本を読んでいたら、と思わないでもない。しかし子規も、芥川も、吉田精一もここを「ふーん」と読み飛ばしている。まあ、悪いのは文曉という悪戯坊主だとして、スルーはよくないな。