
内田魯庵「二葉亭の破壞力」
二葉亭の破壞力
二葉亭に親近した或る男は云つた。「二葉亭は破壞者であつて、人の思想や信仰を滅茶々々に破壞するが、破壞したばかりで之に代るの何物をも與へて吳れない」と。
思想や信仰は自ら作るもので人から與へるべきもので無いから、求めるものゝ方が間違つてるが、左に右く二葉亭は八門遁甲といふやくな何處から切決んでも切崩す事の出来ない論陣を張つて、時々奇兵を放つては對手を焦らしたり惱ましたりする擒縱殺活自在の思辯に頗る長じてゐた。
※「左に右く」 ……「とにかく」
※「八門遁甲」……八卦八門八星を立て、吉凶を占う法
※「擒縱殺活自在」……相手を意のままにあやつり生かすも殺すも自由にやって見せること。
勿論、演壇又は靑天井の下で山犬のやうに吠立つて憲政擁護を叫ぶ熱辯、若くは建板に水を流すやうに或は油紙に火を點けたやうにペラペラ喋べり立てる達辯では無かつたが、丁度甲州流の戰法のやうに隙間なく槍の穂尖を揃へてジリジリと甲押しに押寄せるといふやうな論鋒は頗る目鮮ましかつた。加ふるに肺腑を突き皮肉に入るの氣鋒極めて銳どく、一々の言葉に鐵槌のやうな力があつて、觸るゝ處の何物をも粉碎せずには置かなかつた。
二葉亭に接近して此の銳どい萬鈞の重さのある鐵槌に思想や信仰を粉碎されて、茫乎として行く處を裏つたものは決して一人や二人で無かつたらう。それがしの小說家が俄に作才を鈍らして一時筆を絕つて了つたのも二葉亭の鐵槌を受けた爲めであつた。
それがしの天才が思想の昏迷を來して一時有らぬ狂名を歌はれたのも亦二葉亭の鐵槌に虐げられた結果であつた。二葉亭に親近するものゝ多くは鐵槌の洗禮を受けて、精神的に路頭に迷ふの浮浪人たらざるを得なかつた。中には靈の飢餓を訴ふるものがあつても、靈の空腹を充たすの糧を與へられないで、却て空腹を鐵槌の弄り物にされた。
二葉亭の窮理の鐵槌は啻に他人の思想や信仰を破壞するのみならず自分の思想や信仰や計畫や目的までも間斷なしに破壞してゐた。で、破壞しては新たに建直し、建直しては復た破壞し丁度兒供が積木を翫ぶやうに一生を建てたり破したりするに終つた。
二葉亭は常に云つた。フキロソフキーといふは何處までも疑問を追究する論理であつて、若し最後の疑問を決定して了つたなら夫はドグマであつてフキロソフォーでなくなつて了うと。又日く、人生の興味は不可解である、此の不可解に或る一定の解釋を與へて容易に安住するは「あきらめ」でなければイグノランスであると。
此の如くして二葉亭の鐵槌は輕便安直なドグマや「あきらめ」やイグノランスを破壞すべく常に揮はれたのである。
[出典]
きのふけふ : 明治文化史の半面観
内田魯庵 著博文館 1916年
【附記】
イグノランス、では駄目なんですって。