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あとちょっと頑張れ、断腸亭

 永井荷風の『断腸亭日記』昭和三年元旦、ついに雑煮餅を食す。ずっとショコラ、ショコラだったのに。

 正月十八日、

 江戸俗曲の新作につきては余既に持論あり。江戸の音楽は既に完成したる芸術なり。今日新曲をつくらむと欲するは徒に蛇足を添ゆるに過ぎず、勞多くして功なきものなり。(中略)書家にして新に字を作り出す者はなし、書家の事業は一生を費して晋唐古名家の筆法を學ぶに在り、古人の筆法を學び聊かにても之に近寄らむことを一生涯のつとめとなすなり、書の極致は古雅の一事に尽く。

 …とある。でもね、断腸亭、今モリサワのフォントがね、世間大評判なんだよ。まさに書体を作るということで、色んな価値が生まれているんだなこれが。

https://www.morisawa.co.jp/fonts/

 それから日夏耿之介なんかについてはどう評価するのかな。里見弴なんかは「こう書くのが正しい」という漢字を使ったけど、日夏耿之介は「こんなのもありなんじゃないか」という漢字を使っていたよね。殆ど工夫の余地がないんじゃないかというところで、工夫する人は少なくないよね。断腸亭も日夏耿之介の詩をメイリオで読んだら驚くんじゃない?

 二月五日には、「お歌」という二十二三の甲斐甲斐しい妾に老境の幸福をのろける。しかし「余既に老境に及び芸術上の野心も全く消え失せし折柄」はいかんなあ、断腸亭。芸術上の野心も全く消え失せし瞬間、私はその場で命がとられても文句は言わない。まあ、死んだら文句の云いようがないけれど。

 二月十三日、

 晩間山形ほてる食堂に往き食堂をなしつヽ卓上の新聞紙を見る、満紙唯衆議院選挙運動の記事あるのみ、候補者の中には菊池寛妹尾順藏等の名も見えたり、菊池は通俗小説の作者なる事人の知る所、妹尾は三番町の待合鳶の家の亭主にて江戸家といふ女髪結の情夫なり。かくの如き媒淫を業となす者分を忘れ身を慚ぢず堂々として天下の政治を論ずるに至つては、國家の前途まことに憂ふべきものありといふべし。

 そんなに菊池寛が憎いか、断腸亭。
 三月四日、

黄昏山形ほてる食堂に往きて夕餉をなす。給仕人必夕刊の新聞紙をわが卓上に載せ置くなり、東京通信といふ見馴れぬ新聞あり、手にとりて見るに講談倶楽部出版書肆の廣告新聞なり、小村徳富後藤新渡戸等當世知名の士の談話なりと称してキング講談倶楽部の如き雑誌の世に有益なる事を書き立てたり、雑誌も売薬と同じく廣告の力にて無理やりに売り弘めるやうになりては論外の沙汰なり、此等俗悪なる出版物の提灯持ちをなす徳富蘇峰小村欣一の輩に到りては㝡早や人間の風上には置けぬものなり。  

 いや、云いすぎだぞ、断腸亭。もっと悪い奴がほかにもたくさんいるだろう。

  三月廿九日、

眠れば昼となく夜となく必惡夢に襲はる、何とはなく死期日々近き来るが如き心地するなり。

 グリシンを飲むとぐっすり眠れるぞ、断腸亭。

四月廿四日、

精神亦明瞭ならず、朝夕のわかちなく唯うつうつと眠気を催し殆支ふること能はざるなり。

 あとちょっと頑張れ、断腸亭。おれも頑張るから。

 







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